魔神の首といわれる奇岩がある景勝地!? アイヌ伝説が息づく北海道「紅葉の聖地」とは【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】

旭川市にある「神様の集落」とは?

魔神と山の神が争った地

旭川市の南西部、国道12号に沿って石狩川が流れる景勝地として知られる「神居古潭(かむいこたん)」。紅葉の名所として有名なこの峡谷は、かつてアイヌの人々が「神(カムイ)の集落(コタン)」と呼んだ聖地でした

丸木舟を使って交易をしていたアイヌの人々にとって、神居古潭は交通の要衝でした。しかし、神居古潭の峡谷は急激に川幅が狭くなるため流れが激しく船が転覆することも多かったため、アイヌの人々はそれを「峡谷に住む魔神の仕業」と恐れていたようです。

神居古潭には、次の伝説が残っています。

かつて神居古潭にはニッネカムイ(悪神・魔神)が住んでおり、大きな岩を投げ込んで行き交うアイヌの人々を溺れさせようとしていました。それを見たヌプリカムイ(山の神)が見とがめて岩をどかしたところ、ニッネカムイが怒って争いに発展。そこで英雄サマイクルがヌプリカムイに加勢したため、ニッネカムイは逃げ出しましたが、逃げる途中で川岸の泥に足を深く沈めてしまい、身動きがとれなくなったところをサマイクルに斬り殺されてしまったというもの。

神居古潭には、現在も「ニッネカムイの首」や「サマイクルの砦」とされる奇岩があり、川岸に残る甌穴(おうけつ)群(天然記念物)は、ニッネカムイが足を取られた跡と伝わります。

「神居古潭」小史

縄文人も暮らしていた聖地

神居古潭には、縄文時代のストーンサークルや、9~12世紀頃の擦文文化の住居跡(神居古潭竪穴住居遺跡)など多くの遺跡があり、古くから集落が存在していたと考えられています。幕末には、北海道の名づけ親とされる松浦武四郎も神居古潭を訪れ、石狩川流域踏査の模様をまとめた『石狩日誌』に絵を残しました。

万延元年(1860)発行の松浦武四郎著『石狩日誌』(国立国会図書館蔵)に描かれた神居古潭
▲ 万延元年(1860)発行の松浦武四郎著『石狩日誌』(国立国会図書館蔵)に描かれた神居古潭。

函館本線の開通と橋の架橋

明治31年(1898)、石狩川の北岸に沿って函館本線が開通し、明治34年(1901)に神居古潭駅が設置された際、神居古潭に初めて橋(巻橋)が架けられました。その後、大正14年(1925)に神竜橋が架橋され、昭和13年(1938)の架け替えとともに神居大橋と改称されました。

明治45年刊『日本写真帖』(国立国会図書館蔵)に掲載された明治時代末期の神居古潭
▲ 明治45年刊『日本写真帖』(国立国会図書館蔵)に掲載された明治時代末期の神居古潭。

景勝地として「旭川八景」に選定

昭和44年(1969)、函館本線が神居トンネル経由の新線に切り替えられたことによって、神居古潭駅は廃駅になりました。現在、かつての路線跡はサイクリングロードとなり、駅舎も復元されて休憩所として利用されており、吊り橋や周辺の自然も楽しめます。平成9年(1997)、神居古潭は「旭川八景」の一つに選定されました。

現在の神居古潭と神居大橋。橋は昭和13年(1938)の竣工後、改修を重ねながら今に至る
▲ 現在の神居古潭と神居大橋。橋は昭和13年(1938)の竣工後、改修を重ねながら今に至る。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』監修:和田 哲

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監修:和田 哲


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