日光アイスバックス・セルジオ越後SDが力説する日本スポーツの課題とプロスポーツチームが果たす役割

創設100年目の開幕5試合を3勝2敗で勝ち越しスタート

 100年目のシーズンが始まった。前身の古河電工アイスホッケー部の1925年の創部から栃木県日光市に根付き、愛され続けてきた中での節目の年。日本と韓国の最高峰リーグであるアジアリーグアイスホッケーでの初優勝を目指すH.C栃木日光アイスバックス(以下、日光アイスバックス)は開幕5試合を3勝2敗の勝ち越しで終えた。

 9月23日、開幕から5試合目となった昨季優勝・HLアニャン(韓国)との一戦を3対2で競り勝った後の記者会見で、就任5季目を迎える藤澤悌史監督は「選手たちがハードワークしてくれました。チーム全員が勝つためにプレーしてくれました」と称えた。
 昨季の課題だった守備面は、日光市出身の若手のホープ大塚一佐と、日本人として唯一NHL(北米の世界最高峰リーグ)でのプレー経験を持つ福藤豊のGK2人が「高いレベルの切磋琢磨をしてくれています」と藤澤監督は評価。また、DFにフィンランド出身のヤッコ・ニスカラとヨーナス・ウイモネンが加入したことも大きく、23日の試合で好セーブを連発した福藤は「2人の貢献度は高い。ゲームメイクもできるし、体のサイズもあるので」と語ったように、強みに変わろうとしつつあるほどだ。
 そして、100周年の年とあって選手たちのモチベーションも高い。福藤は「子供もこの日光で生まれ育っているので特別な思いがあります。100周年という年にプレーできることは嬉しいことです」、この日決勝ゴールを決めた伊藤俊之は「たくさんの人が繋いできた歴史。このタイミングでプレーできているのは光栄なこと。感謝の気持ちを持ってプレーしたいです」と語った。

セルジオ越後が語ってくれた「憩いの場」としてのチーム存在意義

 選手だけではない。スタッフとして、地域とチームへの思いを誰よりも熱く語るのは、日光アイスバックスのシニアディレクターを務めているセルジオ越後氏だ。サッカーの解説者・評論家としてのイメージが強い人も多いかもしれないが、2006年から現職に就任し20年にわたってチームを支えている。

 スタッフ入りした理由については「仲間だからですよ」と答える。コラムニストのえのきどいちろう氏らとの親交がきっかけで、選手たちと食事やフットサルをする仲になったセルジオ氏は、チームの消滅の危機を知って立ち上がった。
 「なぜサッカー出身なのにアイスホッケーを?」というこれまで何度もぶつけられてきた質問には、口調が強くなる。
 「僕が生まれ育ったブラジルはサッカーだけでなく、フットサルとかハンドボールとかバスケットとかバレーボールとか、複数の種目が(気軽に)できる国だったんですよ。ブラジルは『スポーツ文化』だけど、日本はサッカーはサッカー、野球は野球という『種目文化』。プロでもない学校の部活動で選手の奪い合いをして、それがファンやメディアにも派生して競技ごとに(コミュニティが)分かれてしまっているんです。だから僕がサッカーからアイスホッケーに行くと、すごく珍しがる。でも世界の他の国では、いろんなスポーツに携わるのは普通のことですよ」

 スポーツはいつでもどこでも誰でもが楽しめるのが理想と訴える。観ることについては、「試合の勝敗そのものが重要なわけではない」と力説し「チームに携わるようになって学ぶことが多かった」と語る。
 「“なんで開門した途端にサポーターの人がスタンドに向かって走るんだろ? 試合まではまだ時間があって急ぐ必要は無いのに”と思ったことあるんです。そしたら、みんな“仲間と会いに行きたい”んです。だから(自由席を買ったファンも)いつもと同じ場所でいつもと同じ仲間と観たい。スポーツは『憩いの場』。出会いがあって人との繋がりが増える。そこにチームの大きな大きな存在意義がある」。

「人と人を繋ぐ」その価値を続けるためのアイスバックス

 セルジオ氏が大切にするのは「みんなのチーム」という意識だ。これまで、そして今も日本で多く見られる1つの会社にチームが依存する形態ではなく、ファンと200社以上にわたる大口小口のスポンサーみんなで力を合わせるチーム作りを掲げる。選手たちとの距離の近さも、小さな街ゆえに武器になる。
 「日本ではスポーツ選手を別格に見すぎるところがあるけど、海外ではスポーツ選手が電車に乗っていたり、街を歩いていたりは珍しいことじゃないですよ」とセルジオ氏は話す。だが日光では、前回の記事で紹介したFWの大津晃介が「近所の方にもよく声をかけてもらいます」と語っていたように、身近なヒーローであることができる。

 セルジオ氏は「勝っても負けても、僕らの仕事はずっとこのチームを続けることです。クラブチーム化したお手本を作りたいです」と自らの使命を語る。
 チームに携わる前、ファンに言われた言葉が常に胸の中にある。
「助けてください。お願いします。このチームが無くなったら、みんなと会えなくなるから」
 人と人を繋ぐ。それこそがスポーツの価値であると信じる。
「大事なのは仲間。だから僕も(サッカー選手として)2年だけいるつもりだった日本に50年以上もいて、ふるさとは日本になった。ふるさとは場所じゃない、人なんです」
 日光という小さな街のかけがえのない『憩いの場』。それを守り続け、さらに発展させるために。選手たちとスタッフは、ファンやスポンサーといった『仲間』とともに、100年目のシーズンもハードワークを続けていく。
                                      文章/高木遊

この記事のCategory

オススメ記事

100年目を迎えた日光のアイスホッケークラブが誓う「継承・発展」と「初優勝」

「巴投げ」「腕ひしぎ十字固め」以外の技もできますよね!?【角田夏実:パリオリンピック柔道女子48キロ級金メダリスト/ラブすぽトークショー】

松井秀喜、清原和博、高橋由伸などスター選手がズラリ! “バブルの巨人軍”で暮らした豪快すぎる日常とは?【攻撃型2番打者・元読売ジャイアンツ 清水隆行ラブすぽトークショー】

『伝授』第15回 今夏に印象に残っている馬&凱旋門賞や海外遠征に関しての考察

H.C.栃木日光アイスバックスが10月6日(日)「岩下の新生姜 マッチデー」を開催

イタリアの世界的ソールメーカー「ヴィブラムジャパン」、日本初のアイスホッケープロチーム「H.C.栃木日光アイスバックス」アジアリーグアイスホッケー2024-2025シーズンのスポンサーシップを締結

エイジェック presents第5回関東小学生アイスホッケーリーグ 「アイスバックスカップ」開催のお知らせ

ギャビン・エドワーズ選手によるアイスバックスサイレン!H.C.栃木日光アイスバックス、3月16日(日) HLアニャン戦スペシャルゲスト 宇都宮ブレックス選手 来場

インフォテキストが入ります