三国志のはじまり
時は後漢末、冀州鉅鹿郡に住む、張角・張宝・張梁の三兄弟が不遇をかこっていた。長兄の張角は秀才(科挙の雅名)に落ち、鬱々として山に入り、薬草を摘んで口に糊する日々。そんなある日、手に藜杖を持った南華老仙と名乗る老人が現われ、「張角よ、おまえに与えるのは『太平要術』という書物じゃ。この書物を得た者は天にかわって徳のある政まつりごとをおこない、民をあまねく救わねばならぬ。天の意思に背そむけば必ず報いを受けようぞ」と告げ、一陣の風となって消え去った。
張角はこれを神来として、朝夕、修行に励み、風を呼び、嵐を呼ぶ力を得、「太平道人」と自称した。新たな宗教「太平道」の始まりである。
中平元年(184)正月、「大賢良師」と名乗った張角は、疫病の猖獗に苦しむ庶民に広くお札や霊水を与えて治療にあたり、五百人を超える弟子を各地に配して布教にあたらせた。張宝、張梁はもとより弟子たちも呪文を唱え、お札を配って信者を増やし続けた。
張角は増大する信者を三十六の方ほうとし、大きな方は一万人ほど、小さな方は六、七千人に分け、それぞれのリーダーに「将軍」を名乗らせた。
張角の「蒼天已に死す黄天当まさに立つべし」との掲言は、青州・幽州・徐州・冀州・荊州・揚州・兗州・豫州の八州に流れわたり、信者を魅了した。
「蒼天」とは儒教国家後漢の天のことであり、「黄天」とは太平道の天のこと。張角は、掲言によって「後漢を打ち倒せ!太平道が天下を奪取して民の泰平を実現せよ!」と檄を飛ばしたのだ。
かくして中平元年二月、「黄巾の乱」が勃発し、『三国志演義』の幕が開く。後漢十二代霊帝の御代だった。「黄巾の乱」を引き起こした張角は「天公将軍」と称し、張宝を「地公将軍」、張梁を「人公将軍」として、黄巾軍を指揮させた。シンボルカラー黄色の布で頭を包んだ黄巾軍の勢いは凄すさまじい。出兵した官軍は恐れをなして逃げ惑う。
これに慌てた後漢の大将軍・何進は、「各地の防御を固め、黄巾賊を討伐して軍功を立てよ」との詔をすみやかに下知されるよう霊帝に上奏。その一方で、盧植、皇甫嵩、朱儁を中郎将に任命し、三方から精鋭部隊をもって黄巾軍討滅に出軍させた。だが、五十万にものぼる黄巾軍も分散して各州へ進軍する。
幽州太守の劉焉のもとに、張角の一軍が幽州の境界を侵犯したとの一報が届く。賊軍の多勢を知らされた劉焉は、味方の無勢を補わんと、ただちに立て札を立てて義軍を募った。立て札は涿県にも張り出された。
この立て札こそが、劉備、関羽、張飛の邂逅のお膳立てをするのである。
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』
著:澄田 夢久 監修:渡邉 義浩
シリーズ累計発行部数160万部突破の人気シリーズより、「三国志」について分かりやすく解説した一冊。魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面、また「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」「髀肉の嘆」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。また、曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!
公開日:2020.12.01
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