キューバの至宝リナレス:長嶋茂雄が愛し、中日が獲得した伝説の打者。全盛期の凄さと来日の裏側

助っ人外国人列伝/キューバ編

今号からの本企画は、装いも新たに国別の助っ人たちを大特集!今回はキューバ特集の第一弾として、自国の国籍を持った助っ人たちを紹介する。

打率・出塁率・長打率で歴代1位の伝説的な記録を持つキューバの至宝!オマール・リナレス

念願の日本球界に移籍も!長打力は鳴りを潜めた!

NPB通算成績(3年:2002〜2004)
132試合 打率.246 11本塁打 61打点

東西の緊張が高まったキューバ危機が発生した1962年。その影響でキューバ国籍を持った助っ人外国人はしばらく誕生しなかった。そして、キューバ国籍の助っ人外国人が再び誕生したのが2002年に中日に入団したオマール・リナレスだ。

スポーツ専門学校出身のリナレスは15歳で国内リーグにデビューし、打率・出塁率・長打率で歴代1位の伝説的な記録を持つキューバの至宝。メジャーよりも強いと言われたキューバ代表の中軸を担い、巨漢の体型からは想像できない高い守備力も併せ持つ英雄でもある。

リナレスは現役時代に「自分の息子」と公言していた長嶋茂雄監督の巨人入りを希望していた。だが、政治の壁は厚く、2001年に現役を引退する。事態が動いたのは2002年。中日の球団調査役だった横山昌弘がキューハ政府と粘り強く交渉を重ね、電撃的な中日入りが決定したのだ。

ただ、全盛期を過ぎて明らかに体重が増えたリナレスは、在籍した3年間で往年の打撃をほとんど披露することができなかった。それでも西武と対戦した2004年の日本シリーズでは2本塁打を放つ勝負強さを見せた。全盛期の1980〜1990年代に日本でのプレーが見たかった助っ人である。退団後、2016年には中日の巡回打撃コーチ兼球団通訳に就任し、現在も巡回コーチ・スコアラーとして所属している。

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