昆布は作るけど食べない!? 北海道民と昆布の“不思議な関係”【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】

国内の昆布の9割を生産しているのに北海道ではそんなに食べない

中世から昆布の生産地だった北海道

北海道の昆布の生産量は国内の9割以上を占めています。その一方で、北海道民の昆布消費量は少なく、総務省の「家計調査」を基にしたランキングでは、2018年は39位、2022年は37位と、いずれも下位でした

北海道における昆布の消費量が他の地域に比べて少ないのには、中世にまでさかのぼる歴史的な理由があるようです。

昆布の交易船が蝦夷地(北海道)の松前と本州の間を行き交うようになったのは、鎌倉時代中期以降のこと。室町時代には、蝦夷地の昆布は越前の国(現在の福井県)の敦賀港まで船で運ばれ、当時、京都や大阪でも流通するようになりました。

さらに江戸時代には、当時、経済の中心地だった大阪と蝦夷地を日本海ルートで結ぶ北前船による交易が盛んになり、大阪などの関西圏で昆布が大量に消費されるようになりました。当時、北前船の拠点だった福井や富山、大阪では、昆布で出汁を取ったり食べたりする昆布食文化が根づいており、現在も昆布の消費量はトップクラスです。

一方、現在、北海道で暮らす人の多くは明治時代以降に日本の各地から移住してきた人たちの子孫です。そのため、日本一の昆布の生産地でありながら、もともと昆布食文化が根づいていない地域をルーツとする人も多く、消費量も「全国平均かそれ以下」なのだと考えられています。

清にまでつながっていた「昆布ロード」

沖縄で昆布の消費量が多い理由

江戸時代の中頃から幕末にかけて成立した北前船などによる昆布の流通網は、現在では「昆布ロード」と呼ばれています。その後、昆布ロードは江戸や九州、琉球王国(沖縄)へと拡大。さらに琉球王国から清へも輸出されました。

現在、昆布がとれない沖縄県で昆布消費量が多いのは、江戸時代に昆布ロードの中継地だったためと言われています。

『日本山海名物圖繪』(国立国会図書館蔵)に描かれた、江戸時代の蝦夷松前における昆布生産の様子。昆布を乾燥させるため、浜辺や家の屋根の上、道などに昆布を並べている。
▲『日本山海名物圖繪』(国立国会図書館蔵)に描かれた、江戸時代の蝦夷松前における昆布生産の様子。昆布を乾燥させるため、浜辺や家の屋根の上、道などに昆布を並べている。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』監修:和田 哲

【書誌情報】
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監修:和田 哲


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