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ベイスターズの仲間と共に優勝の栄誉を 伊藤光選手トークショー

Text:遠藤玲奈

悔し涙と大歓声を経て、再び輝きだした不屈の男

キャッチャーだな。
つくづくそう思いながら、会場の最後方で伊藤光選手のお話を聞いていました。
的確に言葉を選び、状況や気持ちをわかりやすく伝えてくださる様子から、この人なら十二分に扇の要の難役を果たせる、チームメイトはさぞかし安心だろうと確信しました。

小学校低学年の頃にはすでにプロ入りを意識していました。親戚にプロ野球選手がいたことが大きな影響を与えたのです。投手、引退後はコーチとして読売ジャイアンツに所属した水沢薫さんです。幼い頃から宮崎キャンプの見学に訪れていた光少年は、当然ジャイアンツファンでした。
地元は愛知県ですが、高知の明徳義塾高校に野球留学します。ダルビッシュ有投手が所属していたシニアチームの監督が、明徳義塾の馬淵監督に推薦したのでした。
部員は3学年で120人ほどいましたが、レギュラー争いに参加できるのはそのうち60人程度でした。伊藤光選手はもちろんその中のひとりでした。1年の夏には甲子園への出場も決まりました。が、辞退しなければならない事情がチームに生じ、試合はできませんでした。

それでも幼い頃からプロを目指して進んできたエリート街道は途絶えたわけではなく、11球団から調査書が届きました。そしてオリックス・バファローズから高校生ドラフト3位指名を得て、プロ野球選手としてのキャリアがスタートしました。清原和博さんはあまりのオーラになかなか話すこともできませんでしたが、捕手の先輩である前田大輔さんや日高剛さんは特に声をかけてくれました。
2年目の4月に椎間板ヘルニアの手術を受けました。それから約2年間、寮から出ることすらできない日々が続きました。復帰どころではない状態です。それでも、伊藤光選手はくじけませんでした。動かせる上半身を使って、マシンでのトレーニングや座ったままのティーバッティングに励みました。
切れそうになる気持ちをどうにかつなぎ、2010年シーズン終盤には一軍復帰。2014年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞を受賞しました。
しかし、最高の時は長く続きません。翌年から徐々に出場機会が減少します。試合に出るために、サードやファーストを守ることもありました。

そして、2018年7月9日。二軍暮らしは3か月に及んでいました。それでも、オリックスでまた必ずレギュラーを獲るとの思いは揺らいでいませんでした。その日は4番での試合出場が決まっており、二軍戦とはいえいつも以上に気持ちも入っていました。ところが、突然、事務所に呼ばれました。事務所を出た時には情報は世間にも明らかになっており、凄まじい数の着信とメールが届いていました。
ロッカーを片付け、舞洲球場からの帰り道、車を路肩に停めました。オリックスでの自分はひとまず終わった。悔し涙が止まりませんでした。
新しいものが揃わず、以前の用具のロゴマークをペンで消して出場した横浜スタジアム。伊藤光選手を迎えたのは、大歓声でした。
必要とされてここに来た。そう思うことができました。
移籍してからの伊藤光選手は、カクテル光線に負けないほどの輝きを放ち続けています。不屈の男が今何よりも欲するのは、未だ手にしたことのない、優勝の栄誉。横浜DeNAベイスターズの仲間たちとそれをつかむべく、扇の要で闘志を燃やし続けます。

『ラブすぽ』ライター:遠藤玲奈
池田高校のやまびこ打線全盛期に徳島に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。選手としての経験はないが、独自の方法で野球の奥深さを追究する。特に気になるポジションは捕手。フルマラソンの自己ベストは3時間31分。