SPORTS COLUMN
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自在な変化球とプラス思考。高木勇人がメキシコでも武器とするもの。

Text:遠藤玲奈

高木勇人選手 トークショーレポート

少年が野球を始めたきっかけは、神社でキャッチャーミットを拾ったことでした。すでに穴が空いており、忘れ物ではなく明らかに捨てられている様子だったそれを、少年は家に持ち帰りました。
彼は本当はサッカーに憧れていました。サッカーボールを父親にせがんだところ、買ってきてくれたのは野球ボールでした。父の願いを察し、キャッチャーミットもあるし、というわけで、彼は野球を始めました。
小学校4年生の2学期のことです。

肩が強かったことと、キャッチャーミットしかなかったことから、最初はキャッチャーを務めていました。少年野球のキャッチャーには、彼の肩は少々強すぎたようで、盗塁刺のための送球はなかなか内野手のグラブに収まりませんでした。
中学生の軟式野球チームでも主にキャッチャーを務めていましたが、メンバーの少ないチームで、試合展開によっては早々にピッチャーを使い切ってしまうこともありました。
ある日、僕が投げる、と少年は手を挙げました。その時もキャッチャーで試合に出ていたのですが、マスクを他の選手に譲り、彼はマウンドに立ちました。その時たまたま見にきていたのが海星高校の関係者の方でした。
思いがけない好投で、結果的にアピールに成功した彼は、海星高校に進学することになりました。

名門の野球部は100人ほどの部員を抱えていました。軟式出身の彼は、その中でやや肩身の狭い思いをしていました。
1年生ですぐに本格的な練習に参加できるのは硬式の経験者です。きっとそうなるだろうと見越して、彼も予めトレーニングはしていたのです。川に向かって、大きめの石を投げる練習です。おかげで硬球をそれほど重く感じずに済み、長い目で見れば役に立ったようですが、入部したばかりの頃は草抜きとスクワットの日々が続きました。

それでも、1年生の夏にはベンチ入りを果たしていました。お前のスクワットすごいな、と監督から声がかかったのです。毎日2000回程度、明るく元気に励む姿勢が評価されたのでしょう。
最初から投手でしたが、バッティングも好きで、セーフティバントが得意でした。三重県優勝がかかった試合では、会心のホームランを放ちました。投手が8番を打つのが海星高校の伝統だそうです。
残念ながら甲子園への出場は叶わず、プロ志望届を出したものの指名も得られませんでした。神社でミットを拾った少年は立派な青年に成長し、なおも野球の道を歩みます。社会人野球の三菱重工名古屋に所属することになりました。
工場の外国人スタッフとコミュニケーションを取ったり、ジェット機の部品のチェックをしたりしながら、午後から夜まで練習に励む生活が7年。
ついに憧れの球団からドラフト指名を得ました。読売ジャイアンツの高木勇人はこうして誕生しました。

プロでの思い出として、ルーキーイヤーの誕生日、7月13日に対横浜戦で先発した時のことを語ってくださいました。
初回から立て続けにホームランを浴びるという、なんとも痛烈な誕生日プレゼント。原監督に呼ばれ、覚悟して走って向かったのですが、そこは段差の多い横浜スタジアム。ベンチ付近のひとつにつまずいてしまい、なんと監督の目の前にヘッドスライディングする結果に。
監督からは、もういい、とひと言だったそうです。その後は4回まで無失点の好投でした。

どんな状況もプラス思考で乗り越えてきた高木投手。自在に操る変化球と明るい笑顔は万国に通用するはずです。
まずはメキシコ球界を大いににぎわせ、ご自身も楽しんでください。
¡Haz tu mejor esfuerzo! ¡Buena suerte!
がんばってください。幸運を祈ります。

『ラブすぽ』ライター:遠藤玲奈
池田高校のやまびこ打線全盛期に徳島に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。選手としての経験はないが、独自の方法で野球の奥深さを追究する。特に気になるポジションは捕手。フルマラソンの自己ベストは3時間31分。