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35歳でスペイン移籍。サッカー元日本代表 丹羽大輝を支えた「準備力」

ガンバ大阪のジュニアユースで育ち、2004年にトップチーム昇格。徳島、大宮、福岡でもプレー後、ガンバ大阪に復帰し2014年には国内三冠、翌年には日本代表にも選出された丹羽大輝。広島、FC東京でもキャリアを続け、この冬、FC東京を契約満了となっていた35歳が、次なる活躍の場に選んだのはスペインだった。丹羽大輝は、なぜ挑戦を続けるのか?そして訴え続ける「準備」の大切さとは?新天地となるセスタオ・リーベルが本拠地とするビルバオの街を背景に、画面越しに語った。(取材・文=新川諒)

35歳でスペイン移籍を決断した理由

18年間戦い続けたJリーグの舞台。2021年1月、FC東京の一員としてJリーグYBCルヴァンカップ決勝を戦い終えた丹羽大輝は、すぐさまスペインに降り立っていた。

「このまま日本で(キャリアを)終えるのか、海外に行くのか。もし話が来たときにどうするのかと考えたときに、確実に僕は後者を選ぶ」

幼少期から持っていた海外への強い思い。来るべきタイミングに向けて準備を続け、その縁が舞い降りたのが、35歳を迎えるプロ18年目。新型コロナウイルスの影響もあり人生を見つめ直す中で、ラストチャンスという思いでスペイン移籍を決めた。

現状を打破できるのは自分だけ。強い信念を持って辿り着いたのは、バスク地方随一の都市ビルバオを本拠地に、100年以上の歴史を誇るスペイン4部のセスタオ・リーベル・クラブ(Sestao River Club)。

「世の中は、自分の知らないことばかり」――。日本国内でも移籍をするときに地域の文化や特徴に触れてきた。この類い稀なる探究心が、新たな挑戦を実現させた。

「僕は、『知らないことを知る』ということを幸せに感じ、楽しいと思える性格。そういう生き方や価値観も含めて、今、スペインにいます」

スペインを選んだ理由を尋ねると、「無敵艦隊」と呼ばれたスペインサッカーへの憧れもありながらも、何より遠征や旅行で訪れたスペインという国、文化に好感を持っていたという。また、世界では3番目に使用人口が多いスペイン語を習得することで、さらに世界が広がる可能性にも触れた。現在はスペイン語学校にも通い、空き時間には近所のバルに1人で通って生活の中でコミュニケーションを学び、実践している。

「郷に入れば郷に従え」

これまで多くの外国人選手と接してきて、日本で長く活躍してきた選手たちは、言語や文化の部分で馴染もうという姿勢を持って取り組んでいたという。その学ぶ姿勢を持って、スペインでの1年目に挑む。

重要なのはタイミングと縁

「これは行くしかない」

そう思い立って、正式オファーがない中で飛行機に飛び乗った。現地に行かないことには契約を得ることは100%ない。「タイミングと縁」を大事にしてスペインに渡ったが、海外挑戦は一筋縄では行かなかった。

スペイン到着直後には、興味を示していたクラブの監督が突如解任。日本人選手を獲得するという意向が白紙となり、他チームとの新たな交渉を余儀なくされた。2チーム目でも契約寸前でまたも監督が解任となり、コーチ陣も全員辞任。新監督の意向で破談となってしまった。2ヶ月半足らずで「これぞ海外」という経験を得たと丹羽選手はいう。

そして最終的に決まったのが、スペイン4部のセスタオ・リーベル・クラブだ。3部昇格を掛けたプレーオフに挑むクラブが補強を決断し、白羽の矢が立った。シーズンの重要な局面で助っ人としてクラブに加わる。

「どのタイミングでどんな縁があるかは本当に分からないので、自分の中のアンテナを張り巡らせていました。良い縁とタイミングに出会える自分を、常に持っておくのが大事。ただ待っているのと、自分で作り出すとは全く違う。能動的に掴もうとする人に、降ってくるんです」

準備をしているからこそ「引退は怖くない」

現役アスリートは年齢を重ねるうちに、選手自身よりも周囲がセカンドキャリアについて考え始める。丹羽選手にも引退後の進路を含めた他クラブからのオファー、そして知人の経営者から社員として働くことを打診される話もあったという。その一つひとつが引退という二文字を近づけ、年齢を客観的に意識させる機会となる。

丹羽選手も引退を考えたことがないわけではない。若い時から準備はしてきたと話す。「準備」とはサッカーでも大切にしてきた考えであり、試合で頑張るよりもそこまでのプロセスの段階で勝負が決まっているというマインドで取り組んできた。

「サッカー人生もいつか終わりがくるので、次への準備は若い頃からずっと意識してやってきました。人に会うことが好きなので、異業種の方との交流をすることによって、自分が何に向いているのか、自分の価値観を確かめることに時間を割いてきました。(現役が)終わった瞬間に全く違うもう一つのキャリアに移行できるように、20代からずっと考えていました」

人によっては「サッカーに没頭しろ」、「競技に打ち込め」という考えがあるかもしれない。それでも色んな人に会い、話を聞くことが本職にも活きると信じてきた。引退した後の選択肢を広げるだけでなく、サッカー以外のことも競技に結び付けられると思い、行動に移してきた。

「今を本気で生きることで、未来は自分で切り拓いていける。引退は怖くないですし、タイミングだけだと思っています。そのタイミングが来たときに自分がベストな選択ができるよう、良い形で準備だけはしていきたい

次世代に伝えたい「自分でチャレンジする大切さ」

新型コロナウイルスにより、今まで以上に人間の生命力が試されている。それは生死という意味ではなく、個人として社会でどう生き延びていくかだ。この挑戦がどうなるかは分からない。ただ、どんな結果になっても後悔はないと力強く言えるのは、自分で考え抜いたからだ。

「自分で考えて、自分で決断して、自分の人生を自分で切り拓いていく。後悔のない人生を歩むには、それが一番重要」

三人の子供を持つ親として、自身が様々な経験をすることが子供たちの選択肢を広げる。海外挑戦は自分がプロサッカー選手であるという特権を生かして、子供たちにも無限大の可能性を提供できることにつながる。その環境を与えるのも父親としての務めだという。

そして何より、多くの子供たちにチャレンジ精神を感じてもらう。自ら行動することで、何でもできる。その可能性を行動で伝えていく。金や名誉を追いかけるのではなく、どのようにして人に影響を与えていけるのか。若い頃に比べてより意識するようになったとも丹羽選手は話した。

もちろん、若い頃は今と同じ考えを持てていたわけではなかった。より良い選択肢があったのではないかと思うこともあった。だが、色んな経験や出会いによって今の考えに至っている。

単純にポジティブに考えているのではない。一度最悪のケースまで考え抜き、そこからどうすべきかを考える。最高に向けて行動で切り替える。このマインドが、丹羽大輝の根底にある。

これまで人生で大切にしてきた考えが一つの道を作り、それがスペインに辿り着いた。

「人生は一度きりで、楽しんだ者勝ち。どこに楽しさがあるかを見出す。転がっている楽しさを自分で掴み取る。そういう『旅』だと思っています」

聞き手:新川 諒
現在はNBAワシントン・ウィザーズのマーケティング部でデジタル・スペシャリスト、そしてMLBシンシナティ・レッズではコンサルタントを兼務。フリーランスとしてスポーツを中心にライター、通訳、コンサルタントとしても活動。MLB4球団で合計7年にわたり広報・通訳に従事し、2017年WBCでは侍ジャパンに帯同。また、DAZNの日本事業立ち上げ時にはローカライゼーションも担当した。

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