スポーツビジネスの現場で核となり、さらに将来のキーパーソンともなる30代の方々に、これまでのキャリアと現職について伺う連載企画。第6回は、東京・渋谷区を拠点とする3×3(3人制バスケ)のプロチームTOKYO DIMEの営業を担う八木亜樹(やぎ・あき)さんに、転職や上京を経たバスケットボール界までの道のり、そして3×3の普及とTOKYO DIMEの営業を担う現在について伺います。(聞き手は新川諒)
リーマンショックからの就職、転職、上京
――まず始めに、バスケットボールを仕事にするまでのキャリアを教えていただけますか。
結構長くなりますが(笑)、新卒はリーマンショックの最中、人材派遣のアウトソーシングの会社であるトランスコスモス株式会社へ入社しました。1年半の間、派遣でコールセンターで仕事を行っていたのですが、自分のやりたいこととは違う業務が続いたこともあり、その後は中小企業に転職し、経理の業務などを行っていました。
その間3年ほど、アマチュアのバスケットボールの大会を開く会社でアルバイトもしていました。そこから社員になるお話をいただいて、大阪から上京したのが27歳の時です。
バスケとの出会いは、私が小学6年生のとき、姉が入っていたクラブチームに参加して、中学からずっとバスケットボール部でした。大学も建築学科からスタートしたのですが、部活がしたくて社会学科に編入したくらいです。そして、社会人になってもバスケに携わりたくて。
――様々な経験を経て、TOKYO DIMEにたどり着くのはその後です。
上京をして、バスケを仕事に…と思っていたのですが、日本生命(保険相互会社:ニッセイ)に行き着きました。これは7年前ぐらいの話ですが、当時は「スポーツ業界に入りたい」という思いよりも、まずは東京で暮らしていくために仕事をしないといけない状況だったんです。
日本生命では営業として6年間勤めました。そして、その間にボランティアとして関わっていたのが、TOKYO DIMEです。当時はバスケを実際に仕事にしようというより、バスケに関わって業界のために何かできないかと思っていました。
――5人制より後発の3×3、そしてTOKYO DIMEを選んだ理由とは?
3×3がオリンピック種目に決まったのは大きかったです。もともとは、日本生命で働いている時から、3×3のイベントでテーブルオフィシャルとしてお手伝いをさせてもらっていましたし。
そんな中、ちょうど東京都バスケットボール協会の「オリンピックのテーブルオフィシャルを目指しませんか」という募集に応募したことがありました。それを耳にしたオーナーの岡田(※)から「夢を目指すために働きませんか」と誘ってもらったのが、転職のきっかけです。
(※ 岡田優介氏。TOKYO DIMEのオーナーでBリーグ2部アースフレンズ東京Zの現役選手でもある)
岡田さんは自分の目標や考えを大事にしてくれる人なので私の思いを理解してくれ、日本生命で働きながらもDIMEのお手伝いをしていたこともあり、転職を決めました。やはり私はバスケットボールに携わりたいと思ったんです。
発展途上の3×3、そしてTOKYO DIMEへ
――これまでの様々な経験が、現在の仕事に活きている印象です。
そうですね。コールセンターでは接客を学び、2社目の経理の仕事では数字や収支を勉強し、3社目ではバスケットボールの大会を開くノウハウを学びました。その後に日本生命での営業でしたので、色んな職種に携わって、スペシャリストではないですが、全部やれるようになりましたね。
――実際にスポーツ業界に足を踏み入れることになりました。これまで持っていたイメージとのギャップはありましたか。
ギャップって何だろうとは思いますね。スポーツ業界がこうだろうというのが元々なかったので普通の会社と変わらないと思います。色んな業種を経験しているので変化に慣れているのもあります。新卒だったらまた考え方も違うかもしれません。
3×3は業界としてはまだまだマイナースポーツなので、自分たちで作り上げている段階です。「業界初」というのはDIMEも好きな言葉で、色んな初めての取り組みもできます。規模が小さい分、自分のやりたいことに対してもすぐ決済が下ります。例えば、コロナ禍においても「#Dimeリモマ」と称して、日本バスケ界初のリモートマッチを開催しましたが、2週間前に即決して実施したイベントでした。
――TOKYO DIMEでの現職、そして3×3の魅力についても教えてください。
メンバーは、私が1人目の社員になりますが、今も少人数で業務を行っております。加えて、インターンは10名ほどいます。人には、私の仕事は「なんでも屋」と言っています。自分の肩書きってなんだろうと思いますね(笑)。
重要なのは、自分からアクションを起こすことです。私は大阪の人間なので東京にたくさん知り合いがいるわけではありませんが、今実際に渋谷に住んで街のことをいろいろ知ろうとしています。スポンサーひとつ取っても、選手が何を求めているのかを確認した上で、まずは渋谷でそのような企業がないかを探して、プランを作って、提案をしていきます。
Bリーグや5人制のクラブは組織自体がもうしっかりしていますが、3×3のチームはまだ作っている段階なのが魅力の1つ。3×3には日本代表候補が多くいること、そして東京大会でオリンピックの正式種目になっていることも魅力であり、セールスポイントでもあります。
DIMEは、世界一になるという目標も掲げています。昨年はコロナの影響で開催はありませんでしたが、出場するのさえ難しいと言われる世界大会にDIMEは2019年だけで12回も出場しています。常に世界大会に出場し、将来世界一のクラブになることを目指しています。
「ファン目線」で3×3を発信してく
――3×3にはまだ馴染みのない人も多いかもしれません。今後より発信していくために、どのように考えていますか。
まだまだ3×3を知らない人も多いですし、どうやってオリンピックに出られるのかもなかなか周知されていません。これをファン目線で発信していくことがDIMEの使命だと思っています。
まず、世界大会に出るためには日本の三大ツアーと言われるJAPAN TOUR、3X3.EXE PREMIER、日本選手権で優勝する必要があります。そして世界のクラブランキングでトップ20に入っていれば、世界大会に出場する抽選に加わる権利を得ることができます。
今国内のチーム数は50程ありますが、オリンピックが終わった後もこの競技を盛り上げていくのがDIMEの役割だと思っています。DIMEが3×3で食べていけるチームとして、モデルになれるようにしていきたいと思っています。
実は、もともとDIMEができた1年目、私は「応援団長」でした。DIMEで働く前はBリーグへもシーズンシートを買って見に行く程でしたし、「ファン目線」には自信があります。
――「ファン目線」で感じた3×3の課題はありますか。
当時は運営の方も3×3の知識がまだ十分でなく、得点さえも間違っていたりしました。そこがファンにとって一番気になっていたところでした。選手が一生懸命プレーしているのに得点が違う、そしてそれで勝敗が決まってしまうというのは、自分の中ではショックでした。実はそれが、テーブルオフィシャルを目指すきっかけでもあったんです。
他には、会場にはDJがいて、お酒も飲めて、当時は音楽も流れているので「応援ってどうやるんだろう」とも考えていました。声出して良いんだろうか?って(笑)。でも実際、3×3はBリーグに比べてもまだ規模も小さいので、ファンの方も一緒にチームを作ってくれる家族のような存在で、とても温かい方が多いです。
――TOKYO DIMEは「渋谷の街と共に」という意識が高いように見受けます。どのような取り組みをしていますか。
DIMEでは昨年6月、SDGsに沿ったチーム独自のゴールを設定「DIME GREEN SDGs」を発表しました。「健康を福祉」はその一つで、飲食店がコロナの影響を受けていた中、渋谷区のセンター街にある空き家を使って、飲食店がテイクアウトのブースを出す取り組みを行いました。センター街は人通りも多く、スポンサー企業の露出にもなりました。
また、渋谷のゴミ拾いボランティアのNPO法人グリーンバードとも、チームとして一緒にゴミ拾いの活動などをしています。グリーンバードはオフィシャルパートナーとして、一緒に渋谷を綺麗にする社会貢献活動にもなっています。
選手たちはみんな、積極的にイベントに出てくれています。自ら行きますと手を挙げてくれる方が多く、素晴らしい選手たちが揃っていて助かっています。選手がいなければイベントもできないですし、イベントのオファーも選手がいるからこそ来るものだと思います。選手がスポンサーを取ってきてくれることもありますよ。
――八木さんのキャリアにとって、TOKYO DIMEはどのような場所でしょうか。
キャリアでは、やりたいことがあるなら絶対やるべきだと思います。私は色々と転職活動をしてきましたが、人ってなるようになるものだなと自分の経験から感じています。
DIMEは、自分のやりたいことができている居心地の良い場所です。大変ですけど(笑)。 前の職場でも営業は成果が出るので楽しかった。でも今は、営業するものが、自分の好きなバスケットボールになりましたからね。
聞き手:新川 諒
現在はNBAワシントン・ウィザーズのマーケティング部でデジタル・スペシャリスト、そしてMLBシンシナティ・レッズではコンサルタントを兼務。フリーランスとしてスポーツを中心にライター、通訳、コンサルタントとしても活動。MLB4球団で合計7年にわたり広報・通訳に従事し、2017年WBCでは侍ジャパンに帯同。また、DAZNの日本事業立ち上げ時にはローカライゼーションも担当した。
初出=「HALF TIMEマガジン」
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公開日:2021.04.21