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カンボジア・プロサッカーリーグCEO就任の斎藤聡氏「東南アジアの川淵キャプテンのような存在に」

FCバルセロナを経て日本サッカー協会、アジアサッカー連盟で要職を歴任した斎藤聡氏が、この10月、カンボジアで初めて創設されるプロサッカーリーグのCEOに就任した。海外サッカーリーグの代表を日本人が務めるという前代未聞のチャレンジとは。そして、その挑戦に突き動かしたものとは?本人に聞いた。(取材・文=HALF TIMEマガジン編集長 山中雄介)

史上初のプロサッカーリーグが創設

10月中旬、カンボジアサッカー協会はこれまでにない人事を発表した。同国で初めてとなるプロサッカーリーグの立ち上げに向け、斎藤聡氏をCEOとして迎えるという内容だ。成長著しい東南アジアでもプロリーグ創設は滅多にあるものではなく、海外サッカーリーグの代表に日本人が着任するというのも前例がない。

「リーグのマネジメント層の採用は今のところ私しかいません。私はチャレンジが好きというか、そういうものを常に求めているのかもしれませんね」

斎藤氏はFCバルセロナの国際部を経て日本サッカー協会(JFA)とアジアサッカー連盟(AFC)で要職を務めてきた人物だ。直近ではアクティベーションを専門とする米GMRマーケティングの日本法人代表を務めていた

これまでカンボジアにはサッカー協会傘下のアマチュアリーグがあり、13チームが所属していた。今回はリーグ運営組織を協会とは別に法人化し、リーグをプロ化させるという史上初の構造改革になる。

「クラブ自体もプロではないので、運営がきちんとしたクラブもあれば貧弱なクラブもある。まずはクラブライセンス制度を導入して、新リーグへの入会基準を設けます。とにかく既存クラブを評価して、基準を超えてくるクラブと一緒にやっていこうと」

リーグ運営組織の法人化は、過去のJリーグから近年ではBリーグや日本ハンドボールリーグまで国内でも多くみられる。カンボジアの新プロサッカーリーグでは投資家の後ろ盾も得ており、カンボジアサッカー協会のサオ・ソカ会長も名を連ねている。

「リーグの目標のひとつは競技力の向上。2023年に東南アジア競技大会が初めて自国で開催されるのですが、サッカー競技で優勝することが目標です。そしてもう一つは収益化。大会を期に国内スポーツを発展させたい、アジアの中でも存在感を強めたいと経済が回り始めています。7万人規模の新たなスタジアムもできましたし、高速道路や空港も新設されました。国が発展していくにしたがって、お金集めもできると思います」

2023年でひとつの成果が問われることになるが、「勝算はあります」と斎藤氏。新たな挑戦に向けて全く怯む様子を見せなかった。

7年にも及ぶ、カンボジアとの関係性

海外プロサッカーリーグの代表という異例の人事。とはいえ、これは決して降って湧いた話ではない。斎藤氏はJFAに在職中も、FIFA(国際サッカー連盟)コンサルタントとしてFIFAから任命される形で東南アジアでのサッカーの発展に尽力してきた。

「FIFAはずっとサッカーの発展途上国にハード面の支援をしてきました。カンボジアでいえばスタジアムに人工芝を敷いたり、照明をつけたり。しかしソフト面ももっとサポートしようということで、FIFAが新たにカンボジアサッカー協会にマーケティングディレクターを雇って、私が2014年から遠隔でメンタリングする体制をとってきたんです

7年にもわたるカンボジアとの関係。そこには今にも続く出会いがあった。

「私がメンターとして担当したラニース・ソカという人物がいるんですが、実は彼、サッカー協会会長の息子なんです。なので、当時から会長とお会いすることがよくあったのですが、言われたことが2つありました。1つは東南アジア大会での優勝に向けてサポートしてほしいということ、そしてもう1つは、息子をよろしく頼むと(笑)。

サッカーはカンボジアで一番人気のあるスポーツですから、息子には実績をあげてほしい。彼はアメリカ育ちで大学院まで卒業して、ちょうど母国に帰ってきたタイミングでした。サッカーのマーケティングに関する全てを教えました」

メンタリングによって、カンボジアのサッカーは見る見る変わり始めた。中でも代表チームの人気は凄まじい。

「代表チームの人気を高めるのがラニースの使命でしたが、2014年にメンタリングを始めた時はまだ代表の試合に5000人くらいしか入らなかった。それから彼と一緒にいろいろと施策をしたら、5万5000人収容のオリンピックスタジアムが満員になるまでになったんです。彼、すごく頑張りましたよね」

とはいえ代表チームの人気が高まっただけでは、競技力は底上げされない。そこで目を向けられたのが、国内リーグの強化だ。「代表人気はあがりましたが、やっぱり国内リーグをなんとかしなければというのがずっと課題でした。今回リーグ(の代表)をやらないかというのは、ラニースから声をかけてもらったんです」と斎藤氏は明かす。

不完全燃焼の東京五輪、それでもレガシーを活かす

東京五輪は原則無観客での開催。ビジネスは「みんな不完全燃焼だった」

当時、斎藤氏はGMRマーケティングでのキャリアの終盤にいた。スポンサーシップのアクティベーションを専門とする同社で2017年から日本支社代表を務め、自身1人だった日本オフィスは20名以上の陣容に。クライアント企業もゼロから10社以上になった。

ところが、万全の体制で迎えるはずだった東京五輪は、1年の延期だけでなく原則無観客での開催となり、エクスペリエンス(体験)を売りにする代理店は大きな逆風を受けた。

「オリンピックに関わるビジネスは、みんな不完全燃焼だったと思います。スポンサーは大会期間にほとんどのリソースを充てますので、GMRでもP&Gやインテル、VISAなどのアクティベーションを行う予定でした。東京大会では80社以上のスポンサーがいたので、いかに差別化できるかがカギになります。Googleとは何十億円という規模でGoogleハウスをやる予定でした。残念ながら、世の中には出ませんでしたが」

オリンピック・パラリンピックに関わる多くの人々にとっても、不遇となった感は否めない。斎藤氏は代弁しつつ、自らの考えを語った。

「みんなオリンピックが終わって疲れ切っちゃって。『オリンピック』と言いたくない感じさえありました。それでも関わった一人ひとりには、オリンピックでの経験や世界とつながるネットワークといった、貴重な経験が残ったと思うんです。

このレガシーを次に何に使えるか。そして、自分は何をしたいのか。会社の業務で関わったオリンピックだったかもしれませんが、どう次の行動に活かすかが重要です。私も自分で考えて海外に行くということを決めました。何もしないと、もったいないですから」

「人生で本当にやりたいことは何か?」

東京五輪を経て、人生で本当にやりたいことは何か――。斎藤氏が自分の胸に問いかけると、出てきた答えは「サッカー」だった。

「自分がやりたいことは何かと考えると、やっぱりサッカービジネスだったんです。バルセロナに務めてからは『アジアから最強のクラブを出したい』とずっと思っていましたし、JFAでもサッカーにどっぷり浸かっていましたから。東京五輪というタイミングで最前線のアクティベーションに触れようとGMRに移りましたが、やはりサッカーの発展や勝った負けたの試合に関わりたいと。

結局、FIFAコンサルタントの時も伝えるアドバイスに責任はなく、自分で汗をかかなかった。それ故に、不完全燃焼の部分もありました。だからこそカンボジアでもう一度サッカーの現場に戻りたいと思ったんですね。これは私にとって、セカンドチャンスなんじゃないかと」

「夢を与えていく」東南アジアでの使命

この決断には、ある人物の影響も大きいという。それは、Jリーグ初代チェアマンを務め、日本サッカー協会会長としても辣腕を発揮してきたキャプテンこと川淵三郎氏だ。

「JFAでは川淵キャプテンと親密に仕事をする機会をいただけて。川淵さんの哲学には『アジアでの競争が日本のサッカーを強くする』というものがあります。日本はもうワールドカップに出場するのは当たり前ですが、どうやったら優勝できるのか。

その答えは予選から厳しい戦いをするというものでした。自分がAFCに赴任したのも、アジアのプロリーグ化を進めるということだったんです。『アジアのレベルアップをするためにも、お前はとにかく日本を陥れるくらいアジアを強くしてこい』と」

もちろん今回は、カンボジアのプロリーグならではの役割がある。

「カンボジア代表を良くしたいという思いはもちろんありますけど、私がいる間に日本代表を脅かすレベルにいくのはなかなか難しい。ですから、おらが町のような愛着のあるリーグ、クラブをつくること。そして国や社会にインパクトをもたらすことが重要です。東南アジアの川淵キャプテンになるくらいの変革をもたらしたい」

サッカーの発展と競技力向上、そしてビジネス化。それに留まらず、国や社会さえも変えていくという大きな絵を描く。

「実は、東南アジアは経済成長が著しいですけど、夢がない若者が多いらしいんですよ。日本も経済成長の時にそうでしたが、力道山や巨人・長嶋、大鵬のような国民的スポーツヒーローが生まれて、みんなそれで夢を見たというのがありました。いまカンボジアに欠けている『夢』。それを提供したいという、大きな目標があります」

川淵氏は「夢があるから強くなる」とも言った。キャプテンの背中を見ながら、斎藤氏は力強く新たな挑戦に立ち向かっていく。

「20代、30代の人が起業します、チャレンジしますというのは多い。でも40代、50代になっても挑戦していかないと、つまらないじゃないですか。新しいところへ行くというのは活力にもなる。こんな無茶と思われることをしている奴がいるというのを見てもらって、気に留めてもらって、少し期待してもらえるだけでもいいかなと思います」

斎藤氏と川淵キャプテン。写真=本人提供

◇斎藤 聡(さいとう・さとし)
慶應義塾大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。その後スペインESADEビジネススクール修了(MBA取得)。FCバルセロナのアジア人初のスタッフとして同クラブの国際化に尽力。帰国後は日本サッカー協会にて、日本代表戦の競技運営やマーケティング業務を担当。またアジアサッカー連盟、国際サッカー連盟に出向し、アジア諸国のプロリーグ化やFIFAワールドカップのマーケティング業務に携わる。並行してFIFAコンサルタントとして、タイ、インドネシア、カンボジア等のサッカービジネス発展に寄与。

2017年米GMRマーケティング日本支社代表を努めた後、2020年HMRコンサルティングを設立し代表取締役に就任、現職。経済産業省地域経済産業グループ「地域未来分野別エキスパート」も務める。

昨年11月10日から開催のスポーツビジネスカンファレンス『HALF TIMEカンファレンス2021 Vol.2』にも登壇した。

初出=「HALF TIMEマガジン」21年11月4日掲載
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