SPORTS COLUMN
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右肘故障で2年のブランクも開幕11連勝の鮮烈な復活劇遂げた!村田兆治

プロ野球感動!カムバック伝説

怪我…リハビリ…諦めかけた。でも もう一度 野球がやりたい…!不屈の闘志で過酷な運命と闘い、不死鳥のように蘇った男たちの物語!

恐怖のマサカリサンデー兆治の日曜日!

村田兆治(ロッテ)

それはちょうどカムバック賞を受賞した年だった。人は彼を「サンデー兆治」と呼んだ。彼の名は村田兆治。村田兆治と言えば「マサカリ投法」。投球モーションに入ったと同時に体がググッと沈み込み、まるで背負い投げをするような独特なフォーム。そこから投げ込まれる150キロを超える重い剛速球は打者にとって恐怖そのものだった。それが、1976年に空を切り裂くように落ちるフォークを習得すると、鬼に金棒の如く、南海の野村克也らパの強打者たちを震え上がらせる存在となり、21勝を挙げ、防御率1.82で最優秀防御率と202奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。その後も、1981年には開幕11連勝を飾り、19勝で最多勝のタイトルも獲得し、鈴木啓示、山田久志、東尾修らと共に1970年代から1980年代のパを代表する投手となった。

だが1982年に右肘を故障し、以後その故障との闘いを余儀なくされるのである。様々な治療法に取り組む中、宮本武蔵の「五輪書」を愛読し、山奥で座禅を組み、深夜白衣を纏い滝に打たれるといった荒行も行った。が回復することなく、翌1983年に渡米しスポーツ医学の権威フランク・ジョーブの執刀で、左腕の腱を右肘に移植する手術を受けることになる。2年間の壮絶なリハビリ後、1984年終盤についに復帰。そして翌1985年に開幕から11連勝を挙げるという鮮烈な復活劇を見せるのだ。その活躍により、前年に続くロッテのリーグ2位に貢献し、最終的に17勝5敗の成績を挙げる。これが大いに評価され、カムバック賞を受賞するのである。またこの年から、日曜のみに登板する先発ローテーションで、「サンデー兆治」と呼ばれるようになったのだ。村田兆治は「人生先発完投」を座右の銘とし、先発完投にこだわった武骨な野球人生から、「昭和生まれの明治男」とも呼ばれ親しまれたのである。

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