プロ野球妄想年俸
本サイトや雑誌「がっつり!プロ野球」(日本文芸社)でも好評を博した『球界のレジェンド、今なら年俸はいくら?』。かつて球界で大活躍した往年の名選手がもし、現在のプロ野球でプレーしていたら、その年俸はいかほどか……を勝手に想像するこの企画。
今回は少し趣向を変えて、プロ野球界が誇るレジェンド助っ人、ウォーレン・クロマティをピックアップ!巨人でのプレーは7年間ながら絶大なインパクトを残した助っ人が、もし令和の今、日本でプレーしていたら一体いくら年俸を稼ぎだしていたのか⁉思いっきり“妄想”してみました!
巨人入団3年で104発をかっ飛ばしたクロマティの妄想年棒は6億5000万円に!
⚫︎ウォーレン・クロマティ/読売ジャイアンツ
エクスポズのレギュラーにして、29歳という若さで日本球界入りを果たしたクロマティは、NPB1年目から、「肩書に偽りなし」と言っていい成績を残す。122試合に出場し、打率.280、35本塁打、93打点。現在であれば、満点の結果と言えるだろう。しかし、クロマティは日本球界1年目の成績を「不本意」と断言している。特に打率.280という数字には大いに不満があったらしく、シーズン中から日本球界の投手対策を講じてなんとかアジャストを試みた。一方で、シーズン終盤の消化試合ではチームに無断で帰国し、球団史上最高額(当時)の罰金200万円という制裁を受ける「お騒がせっぷり」もしっかりと発揮している。
3年契約の2年目を迎えたクロマティは、前年の反省を生かし、119試合で打率.309、32本塁打、112打点とさらに成績をアップ。この成績であれば、本稿で定めた「妄想年俸5億円」も決して安くはないはずだ。しかしこの年、巨人は2年連続でセ・リーグ3位となり前年に続いて優勝を逃す。当時の指揮官・王貞治監督にとっても就任2年連続のV逸とまさに崖っぷち。王監督を「打撃の師匠」と公言するクロマティにとっても3年契約最後の年となった翌1986年。そのバットはさらなる爆発を見せる。
124試合で打率.363、37本塁打、98打点。まごうことなき「スーパースター」の数字だ。しかしこの年、阪神のランディ・バースがNPB史上最高打率の.389をマーク。クロマティは首位打者を逃す。ちなみに、打率.360以上をマークしながら首位打者を逃したのは、NPB史上でもこの年のクロマティただ一人である。
この年をもって、クロマティと巨人の契約は一度切れる。3年間で104発をかっ飛ばした助っ人の引き留めには相当な金額が必要だ。当時の年俸を調べてみると、1億6000~8000万円という数字が散見されるが、前述の自著『さらばサムライ野球』を見ると驚愕の数字が飛び出した。以下は著書からの引用になる。
「300万ドル、300万ドル、300万ドル、何度口にしても心地よい響きだ。ジャイアンツは年俸300万ドルを2年間出してくれるという」
1986年の円相場は1ドル=160円。単純計算で4億8000万円だ。この数字が本当ならば、クロマティは1980年代に現代のNPBトップ選手と同等の年俸を手にしていたことになる。とはいえ、残してきた数字を見れば、年俸額が跳ね上がるのも納得できる。現代に換算した「妄想年俸」も、ここでは6億5000万円とさせて頂こう。ちなみにこの数字は2023年のNPB最高年俸額(※山本由伸、ロベルト・オスナ)と同額になる。
しかし、外国人選手の複数年契約に“リスク”が生まれるのは昭和も令和も同じ。翌年以降、クロマティの成績は低迷期を迎えてしまう。