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坂本勇人以上の巨人の逸材!二遊間を守れ打率.350以上を残した篠塚和典のプロ6年目の年棒とは?【プロ野球妄想年俸】

Text:花田雪

プロ野球妄想年俸 篠塚和典編

第1回 ~一軍定着、大ブレイク編~

本サイトや雑誌「がっつり!プロ野球」(日本文芸社)でも好評を博した『球界のレジェンド、今なら年俸はいくら?』。かつて球界で大活躍した往年の名選手がもし、現在のプロ野球でプレーしていたら、その年俸はいかほどか……を勝手に想像するこの企画。

今回は“昭和の巨人軍”を代表するヒットメーカー、篠塚和典選手が「もし、今プレーしていたら」の妄想年俸を算出する!

プロ6年目でブレイクし年棒1億円に到達した篠塚和典

⚫︎篠塚和典/読売ジャイアンツ

昭和後期から平成初期にかけて巨人で19年間プレー。芸術的な流し打ちと堅実な守備でチームを支えた篠塚和典(利夫)。プロ入りは1975年ドラフトで、巨人から1位指名を受けている。高校時代の篠塚和典は千葉県の名門・銚子商でプレー。2年時に春夏連続で甲子園に出場し、特に夏は2本塁打を放つなど優勝に貢献するなど、高校球界屈指の打者として鳴らした。

2年時に病気で3か月間入院した影響もあり、体力不足も指摘されたというが、当時監督の長嶋茂雄がその才能にほれ込み、1位指名の英断を下したとも言われている。

巨人の高卒野手ドラ1選手といえば、直近では2022年ドラフト1位の浅野翔吾が該当するが、浅野は契約金1億円(出来高5000万円)、年俸1200万円でプロ入り。篠塚和典も同程度の評価と考えつつ、浅野翔吾が複数球団による指名競合があったことを差し引いて、篠塚和典のプロ1年目妄想年俸は1000万円と設定してみよう。

プロ1年目の篠塚和典は一軍出場なし。高卒新人としては決して珍しいことではない。ただ、2年目も18試合、3年目も3試合とプロ3年間でなかなか一軍出場の機会を得ることはできなかった。

高卒入団とはいえ、ドラフト1位選手がプロ3年間で一軍出場21試合は正直言ってややモノ足りない。それでも迎えた4年目。主にセカンド、ショートで76試合に出場し、一軍に定着すると、同年オフに今も語り草になっている地獄の伊東キャンプに参加。5年目の1980年には自身初の100試合オーバーとなる115試合に出場し、レギュラーの座を勝ち取った。

とはいえ、この時点では打撃成績は“平凡”なモノ。妄想年俸上でも現状維持と微増を重ねて3000万円、というのが妥当なラインだろう。

そんな篠塚和典が「レギュラー」から「中心選手」へと成り上がったのがプロ6年目の1981年。開幕当初こそ、ルーキーの原辰徳がセカンドを守り、ポジションを奪われる形となったが、サードレギュラーの中畑清が故障したことで原辰徳がサードに回り、篠塚和典が本来のセカンドに復帰。ここから持ち前の打撃センスが完全に開花し、主に3番打者としてチームを牽引する。

シーズン終盤まで藤田平(阪神)と激しい首位打者争いを演じ、最終的には惜しくも1厘差でタイトルを逃すも、.357の高打率をマーク。チームも優勝を果たし、自身初となるベストナインとゴールデングラブ賞に輝いた。

二遊間を守れて、なおかつ打率.350以上を残せる打者となると、現代プロ野球界でも滅多にお目にかかれない。妄想年俸上、ここは3000万円から一気に大台に乗る1億円と算出してみた。