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プロ野球史上初の300勝投手スタルヒンの年俸は今ならいくら!?

球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

今や1億円プレーヤーなど当たり前になった日本球界。もしも、昭和を代表するレジェンド選手たちが現在の日本球界でプレーしたら、いくら稼ぐのか!?妄想企画、スタート!

旭川のレジェンドは妄想年俸もケタ違い!

プロ野球黎明期を支えた史上初の300勝投手
:ヴィクトル・スタルヒン
【妄想生涯年俸】
110億8100万円
(年平均5億8321万円)

創設時のプロ野球を支えた伝説の投手、ヴィクトル・スタルヒン。日本プロ野球界初の外国出身選手であり1939年に記録したシーズン42勝は稲尾和久と並ぶプロ野球記録であり、間違いなく今後も更新されることのない金字塔だろう。そんな、“レジェンド”がもしも現代プロ野球でプレーしていたら……。時代も、プロ野球を取り巻く環境もすべてが違うのは百も承知で、その“妄想年俸”を大胆に算出してみよう。

スタルヒンは9歳のころ、ロシアから日本に亡命。旧制旭川中学(現北海道旭川東高校)では剛速球投手として鳴らし、1934年に引き抜かれる形で同校を中退、大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)に入団している。プロとしてのデビューは、同年11月に行われた日米野球だった。今でいえば現役高校生がいきなり侍ジャパンに選出され、メジャーリーグ選抜を相手に登板するようなものだ。

スタルヒン:年度別成績&妄想年俸

妄想年俸はプロ野球公式戦が開幕した1936年からの算出となるが、この時点でいわゆる「ドラフト1位投手」クラスの評価を得ていたことは間違いないため、1年目の年俸は上限の1600万円に設定する。スタルヒンの才能が開花したのはプロ野球開幕2年目の1937年。前後期あわせて28勝を挙げる活躍を見せ、一躍巨人のエースへと上り詰めた。シーズン28勝は現代プロ野球ではちょっと考えにくい数字だが、ここで年俸が大幅アップするのは間違いない。ここは思い切って、いきなりの1億円到達と仮定させてもらおう。

しかし、スタルヒンの快進撃はここからさらに加速する。1938年には年間23勝、1シーズン制となった1939年には42勝、翌年も38勝と、今では考えられない天文学的な勝ち数が並ぶ。こうなると「現代のプロ野球」に置き換えること自体が無茶な話になってくるが、百歩譲ってもしも今、年間40試合も完投して、40勝前後を挙げ、400イニング以上を投げる投手がいたら……当然、その年俸も天文学的な数字になるだろう。その後、史実では戦局が悪化し、無国籍のスタルヒンは徴兵こそ逃れたもののプロ野球は中断を余儀なくされる。スタルヒン自身も「敵性国民」として軟禁やプロ野球追放処分を受けるが、1946年のプロ野球再開とともに復帰。

ちょうどこの前後にスタルヒンはプロ8年目を終え、現代ならFA権を取得することになるが、もし宣言すれば当然のように超高額の契約が必要となる。「20勝以上をコンスタントにあげる」投手は現代のプロ野球には存在しない。ここは思い切って年俸9億円の複数年契約が妥当なラインだろう。戦後はかつて所属した巨人を離れ、複数球団でプレーしたスタルヒン。全盛期とまではいかなかったが、1949年には27勝を挙げて6度目の最多勝を獲得するなど、現役引退までに通算303勝を挙げた。日本プロ野球界初の外国出身選手にして、プロ野球黎明期を代表する“レジェンド”の妄想生涯年俸はズバリ、110億8100万円!残した記録を見れば、こんな度肝を抜かれる数字にも納得いただけるはずだ。

 

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