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巨人の4番として昭和-平成で活躍した原辰徳の年俸は今ならいくら!?

Text:花田雪

球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

菅野智之や田中将大など、高額年俸を誇る選手が名を連ねる現代プロ野球界。でも、もし往年のレジェンドが現代でプレーしていたら……その年俸はいくらになる!?

“若大将”が現代でプレーしていたら!?

巨人の4番として昭和、平成で活躍:原辰徳
【妄想生涯年俸】
57億1600万円
(年平均3億8107万円)

10代や20代のファンにとってはすっかり「巨人の監督」のイメージが定着した原辰徳。しかし、現役時代は「若大将」の愛称で親しまれ、巨人の4番を務め上げた正真正銘のスーパースターだった。そんな原辰徳がもし、現代でプレーしていたら……。

原のスター人生は巨人入団よりも前、東海大相模に所属した高校時代から始まっている。父・貢監督のもとで1年からレギュラーを務め、夏の甲子園に3年連続出場。実力はもちろん、甘いマスクでそれまでの「高校球児」のイメージを一新。日本中に「原フィーバー」を巻き起こした。東海大進学後も8季中7季でベストナイン、三冠王2度という成績を残し、ドラフトでは4球団が競合。

いわゆる「目玉選手」だ。当然、現在であれば年俸1600万円、契約金1億円+出来高の新人上限額でスタートするだろう。 プロ1年目、原は自らのバットで「スター」であることを証明するかのように、いきなり22本塁打を放つ。数字だけ見れば、まだシーズン中ではあるが佐藤輝明(阪神)にも匹敵する堂々たる成績。加えて、抜群のスター性を加味すればオフには年俸は大幅増。1億はやり過ぎか……ということで9000万円と想定してみる。

2年目以降は完全に巨人の主軸に定着。そうなると当然、年俸はうなぎ上り。今でいえば岡本和真クラスの成績を残し続けているのだから、プロ7年目での年俸4億円到達はむしろ「遅い」くらいかもしれない。1988年には現在なら国内FA権を獲得。“ジャイアンツ愛”あふれる原なら、当然のようにチームに残留するはずだが、問題はその年俸だ。

今季、甥っ子の菅野智之は年俸8億円の単年契約を結んだが、この時点で4年連続本塁打の主砲を引き留めるには、複数年の大型契約が必要なのは間違いない。そこで、本誌が導き出した数字が5年総額35億円。「安い!」と思う方もいるかもしれないが、この時点で30歳を迎えている原に対しての5年契約は“破格”と言っていい。その後も原は巨人の主砲としてプロ入りから12年連続20本塁打という記録を達成するなど、球界の顔としてプレー。

しかし、長嶋茂雄監督が就任し、松井秀喜が入団した1993年、度重なる故障の影響もあり、自身初の規定打席未到達。打率.229、11本塁打と極度の打撃不振に陥ってしまう。本誌の“妄想”ではここで年契約が切れるため、再契約時の年俸はガクンと下がるはずだ。結局、原はその後成績を上げることができず、1995年を最後に現役引退。とはいえ、残した数字はやはりスーパースター級。若大将は、選手としても凄かった!


出典:『がっつり! プロ野球(29)』

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