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通算500戦登板“燃える男”として馬車馬のように投げ抜いた星野仙一の年俸は今ならいくら!?

Text:花田雪

球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

菅野智之や田中将大など、高額年俸を誇る選手が名を連ねる現代プロ野球界。でも、もし往年のレジェンドが現代でプレーしていたら……その年俸はいくらになる!?

現代野球ではありえない投手・星野仙一の起用法

“燃える男”として馬車馬のように投げ抜いた:大島康徳
【妄想生涯年俸】
35億1100万円
(年平均2億5079万円)

燃える男、闘将……。監督として中日、阪神、楽天と異なる3球団を優勝に導いた名将・星野仙一。その異名通り、監督としては常に選手を鼓舞し、特に中日時代は“鉄拳”も辞さない強烈な指導で強いチームを作り上げた。現役時代は中日一筋年。当時から“燃える男”は健在で闘志を前面に出す投球が持ち味だった。

そんな星野仙一がもし、現代にプレーしていたら、記録やエピソードを交えながら“妄想年俸”を算出してみよう。明治大から1968年ドラフト1位で中日に入団した星野は、六大学のスター投手だった。通算23勝24敗、防御率1.91、199奪三振。当時の六大学は田淵幸一、山本浩司(浩二)、谷沢健一が在籍した黄金世代。ドラフト1位ルーキーの星野は、現在なら当然、新人上限額での契約を結ぶはずだ。

プロ1年目の星野は勝敗だけを見ると8勝9敗と「まずまず」の成績を残したが、注目したいのが登板数だ。この年、ルーキーながら49試合に登板し、そのうち先発が16試合(ちなみに6完投)。分業制が確立した今では考えられないが、先発・リリーフにフル回転したことがわかる。この成績を現代に落とし込むことは難しいが、現在の「8勝9敗」とはその価値が大きく違うと考えて、2年目には6500万円と大幅アップすると仮定してみる。

この起用法はプロ2年目も続き、41試合登板、24先発で10勝14敗。「妄想年俸」を算出する上では非常に計算しにくい成績を残している。とはいえ、中日投手陣の「柱」として投げ続けてきたのは事実で、年俸はしっかりとアップしていくはずだ。その後、3~4年目はリリーフを主戦場とし、迎えた5年目。44試合登板、16先発で自己最多の16勝を挙げる。ただ、ここでも難しいのが「投球イニング」だ。16勝は現在であれば最多勝クラス。投球イニング166回は、決して「絶対的エース」と呼べるレベルではない。

翌1974年には変わらず先発・リリーフで併用され、この年から制定された初代セーブ王の座にも輝いているが、セーブ数は10。これまた、評価に頭を悩ませる数字だ。あらためて星野の現役時代の数字を振り返ると、現代では考えにくい起用法でプロ入りから戦い続けてきたことがわかる。妄想年俸に関してはやや「無理矢理」換算しているが、1975年には3年連続15勝以上を挙げているので勝ち星ベースで年俸3億5000万円に到達すると妄想してみた。

1976年には現在であれば国内FA権を取得。同年終了時点で5年連続2ケタ勝利を挙げており、「先発」として考えればFAの目玉になるはずだ。文字通り「馬車馬」のように働き続けてきた星野の評価は、勝ち星や投球イニング以上のモノがある。ここでは、そんな星野の功績に敬意を表して5年総額20億円の巨額契約を結ぶと想定する。しかし、30歳を越えたあたりから星野の投球は徐々に精彩を欠いていく。1978年からは防御率が4点台後半から5点台を推移。1981年に10勝9敗、防御率3.93と「プチ復活」を果たすも、その翌年、キャリアワーストの3勝に終わり、同年限りで現役を引退している。

プロ通算14年間で146勝121敗34セーブ。知名度のわりには物足りない数字に感じるかもしれない。しかし、通算500試合登板、243先発という数字にこそ、星野仙一の“凄み”が隠されているのではないだろうか。チームのため、先発で勝ち星を重ね、リリーフでセーブを挙げる。“燃える男”はそうやってプロ野球生活を戦い抜いた。『がっつり! プロ野球(29)』本誌が算出した妄想生涯年俸は35億1100万円。正直、「少なすぎる」というのが率直な印象だが、「妄想」ですら推し量れない、そんな熱い投球を星野が見せ続けていたのは、間違いないだろう。


出典:『がっつり! プロ野球(29)』

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