テレビを見ていた際の一言
「それ、早く言ってよ~」
俳優の松重豊さん演じる営業部長が、部下に向かって口にするCMが人気である。あの時の私の心情が、まさにそれだった。
言葉の主はアントニオ猪木さん。参議院議員の1期目だった。
猪木さんは「外交のシロウト」「プロレスラー上がりに何ができる」と白い目を向けられながらも90年12月、独自外交によりイラクから41人の日本人人質を連れ帰り、政治家としての評価を高めていた。
翌91年2月、話を聞こうと、私は議員会館に足を運んだ。
たまたま一緒にテレビを見ていると、NHKのニュースキャスター・磯村尚徳氏が都知事選に立候補するという話が流れた。
次の瞬間、サッと猪木さんの顔色が変わった。リング上で“キラー猪木”に変身する前に見せる、あの殺気に満ちた表情である。
猪木さんは磯村氏を快く思っていなかった。というのも、磯村氏は「ニュースセンター9時」で猪木vs.モハメド・アリ戦について「NHKが報道するまでもない茶番劇」とコメントしたからだ。猪木さんは、それを根に持っていた。
「俺、都知事選に出るよ」
その場に居合わせた編集者と、思わず顔を見合わせた。
「参議院議員を辞職して出馬するんですか? 大変なことになりますよ。肝心の政策は?」
アドレナリンの出まくっている猪木さんには、もう何を言っても無駄だ。
「これから記者クラブに連絡して出馬会見を開く。政策については……二宮さん、何か考えてよ」
今のようにインターネットでもあれば、「東京都の政策課題」とググれば、いくつかは出てくるだろう。しかし、当時そんな気の利いたものはなく、猪木さん自身、都政に関する知識もゼロに等しい。
編集者と2人で、ない知恵を絞り、住宅の家賃が高いよね、とか、国際都市と言いながら、終電が早過ぎない? などと言いながら問題点を羅列していると、猪木さんが、それをメモに取り始めたのだ。これは、とんだ騒動に巻き込まれかねない、と身震いしたものである。
当時の政治状況は複雑で、磯村氏を担ぎ出したのは自民党幹事長の小沢一郎氏。4選を目指す鈴木俊一氏には都議会自民党がついていた。
結局、猪木さんは出馬を取りやめる。ある政治評論家は小沢氏が「猪木下ろしのために27億円用意した」と舞台裏を明かしたが、猪木さんは<誓って言うが、金は貰っていない>(「猪木寛至自伝」新潮社)と述べている。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2022年11月4日発売号