プロ野球師弟伝説
名選手の陰に名指導者あり!!名選手誕生の陰には、時に厳しく、時に優しく彼らを導いた恩師がいた…伝説に残る師弟の歴史を追ってみよう!!
素振りで会話をしたミスターとゴジラ
長嶋茂雄X松井秀喜
●師弟の運命が交錯した1992年のドラフト会議
「いろいろありますが……、やっぱり長嶋監督とふたりで素振りをしていた時間ですかね」。2012年12月28日、引退の決意を表明した会見で、現役生活で最も印象に残っている場面は?と聞かれた松井秀喜は、一瞬遠い目をしてこう答えた。1992年秋のドラフト会議。巨人の監督に復帰した長嶋茂雄は、伊藤智仁(元ヤクルト)指名を希望したフロントの意見を覆して松井秀喜を指名。4球団競合の抽選を見事に引き当てる。松井秀喜との20年間にわたる師弟関係は、この日からはじまった。松井秀喜を巨人の4番として育成する。それこそが長嶋茂雄が自らに課した大命題であった。1980年代に4番をつとめていた原辰徳が力の衰えを見せはじめたジャイアンツにとって、生え抜き4番打者の確立、スーパースターの育成は、今後の命運を握るチームの一大事であったからだ。
●開始されたプロジェクト4番1000日計画
「ファンや子どもたちに夢を与えるプレイヤーになれるよう一生懸命頑張ります」。長嶋茂雄と初対面を果たした入団発表で松井秀喜はそう語った。今考えてみれば、1年目の成績や目標の選手を語る新人が通例のなかで、自らに課せられた重く、果てしない試練を理解していたかのような決意であった。松井秀喜を巨人の4番にするために、3年で結果を出す。それが長嶋茂雄の「4番1000日計画」だった。そのプロジェクトを成し遂げるために行った練習。それは昼夜を問わず行われた素振りだった。ホームでは監督室、時には長嶋宅の地下室、遠征先では監督宿舎でマンツーマンの素振り指導は行われた。長嶋茂雄が指導の際に重要視したのはスイングの音だ。松井がバットを振った際に、通常は「ブン」と重く響く音が「ピュッ」と短く高い音を発すること。長嶋茂雄は目をつぶり、松井のスイングが鋭く空気を切り裂く瞬間を待った。長嶋茂雄が納得する音になるまで、時には1時間以上も松井秀喜の素振りが続いたこともあったという。
そして1995年8月24日の横浜戦、1000日を待たずして、松井秀喜は初めて巨人の4番に座り、その年にシーズン22本塁打を記録。1996年には初の3割をマークし、1998年には本塁打王、打点王を獲得と、巨人の主軸として順調な成長を見せる。2002年、日本一に輝いた巨人を後に、松井秀喜はメジャーに挑戦。名門ヤンキースに入団後、時にメジャーの壁に苦しみ、思うような結果が出ない松井秀喜に対しても、素振り指導は行われた。ある時には長嶋茂雄が滞在中のホテルで、そしてある時には国際電話越しに松井秀喜のスイングの音を聞き、あの音が出ると「よし」と声をかけた。2013年5月の国民栄誉賞授賞式で、松井秀喜は、動く左手で手を振る長嶋茂雄の横で、右利きでありながら左手でのみで手を振った。松井秀喜が、師に対してとったこんな気遣いこそが、この師弟の絆の強さを物語っている。
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公開日:2021.01.28
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