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日本を経てメジャーで最多勝に輝いた!ビル・ガリクソン

Text:雪之丞華之介

助っ人外国人列伝/メジャー出戻り大活躍編

日本で学んで、メジャーで覚醒!?

今回の助っ人外国人列伝は、メジャーとは異なる独自の「日本野球」を経験した後、メジャーに戻ってさらに飛躍する選手が増えている。ここでは、そんな「出戻り大活躍選手」を紹介。

桑田真澄との親交を通じて、野球選手としてさらに成長!

ビル・ガリクソン
NPB通算2年:(1988〜1989)
NPB通算(2年) 41試合 21勝14敗 防御率3.29
MLB通算 (14年) 398試合 162勝136敗 防御率3.93

昭和から平成へと時代が移り変わる1988年〜1989年に巨人に在籍したガリクソン。1型糖尿病患者でありながらローテを守り、2年間で21勝14敗という好成績を残した。帰国後の1990年にはアストロズでメジャー復帰。翌1991年にはタイガースへ移籍し、自己最多となる20勝を記録し、ア・リーグの最多勝投手に輝いた。日本時代にはチームメイトの桑田真澄に多大な影響を受け、しばしば野球談義に花を咲かせたという。その影響もあって、ガリクソンは息子のミドルネームに「クワタ」と名づけている。現役引退後の1998年には社会貢献をした小児糖尿病患者を表彰する「ガリクソン賞」が、日本糖尿病協会によって制定されるなど、球場内外で大きなインパクトを残した。

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