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日米韓墨を股にかけ生涯安打数3028本を放った!フリオ・フランコ

Text:橋本雅生

助っ人外国人列伝/ドミニカ編

日本球界に襲来した最強野球王国の怪物たち

今号の助っ人外国人列伝は、世界の野球選手工場として名選手を輩出してきたドミニカ共和国編。野球大国出身で実力派揃いの助っ人たちの活躍振りを振り返る。

アメリカ、日本、韓国、メキシコなどで56歳までプレーを続けたレジェンド!

フリオ・フランコ(ロッテ)
NPB通算2年:(1995、1998)
258試合 打率.298 28本塁打 135打点

 ドミニカのウインターリーグで活躍後、1982年にメジャーデビューしたフリオ・フランコ。内股でバットの先端を投手に向けるスコーピオン打法が特徴的だった。レンジャーズ時代は4年連続3割超え、1991年は首位打者の輝かしい成績を収めた。1995年にMLBのストライキが起こり、監督になったボビー・バレンタインの誘いを受けてロッテに入団。堅実な打撃の4番として3割超えの打率をマークし、10年ぶりのAクラス入りに貢献した。その後、広岡達郎GMとの確執があり1年で解雇、1998年に再入団するのだが、驚くのはそのときの年齢だ。実はフランコには年齢詐称疑惑があり、自称1958年生まれとしているが、実際はもっと上だと言われている。つまり、40歳を超えた年齢でロッテに復帰し、打率.290、18本塁打、77打点の好成績を残したのだ。その後、メジャー復帰を果たすと、2007年には史上最年長本塁打記録を48歳まで伸ばし、2015年にはBCリーグの石川ミリオンスターズに選手兼任監督として入団。こうして56歳(?)まで現役を続けたフランコが生涯で放った安打数は3028本にも及ぶ。真面目で練習熱心な姿勢が息の長いプレーを可能にしたのだろう。現在は母国でジムを経営しているが、生きる伝説だけに復活があるかも!?

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