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シーズン途中から74戦34HR!中日から近鉄に移籍で突如覚醒したラルフ・ブライアント

Text:橋本雅生

助っ人外国人列伝/アメリカ1990年代編

今回の同企画はアメリカ編/1990年代に突入。助っ人外国人が投打の主軸となり、チームの成績に大きく影響を与えた好選手が次々と登場した“助っ人黄金時代”だ!

2軍でくすぶっていた第三の男がトレード先の新天地で突如覚醒!!

ラルフ・ブライアント
NPB通算8年:(1988~1995)
773試合 打率.261 259本塁打 641打点


●三振数を帳消しにする大アーチでファンを魅了
もともとアメフトをやっていたが、持ち前の身体能力が買われてMLB入りしたラルフ・ブライアント。メジャーには定着できず、1988年に中日入りするも、日本人投手の変化球に苦しみ、1軍のゲーリー・レーシッチと郭源治が好調だったためにブライアントの出番はなかった。

本来ならこのまま日本を去って歴史に名を残す助っ人ではなかったはずだが、近鉄のリチャード・デービスが麻薬所持で逮捕され、その穴埋めでトレードされたことで事態が好転する。近鉄では中西太コーチの指導で日本野球に順応すると、シーズン途中からの74試合で34本塁打を記録したのだ。三振も多かったのはご愛敬だが、翌年からは勝負強さも発揮し、シーズン終盤の西武とのダブルヘッダーでは伝説の4打数連続アーチを記録。

開幕序盤で最下位争いをしていたチームを逆転優勝に導いたのは紛れもなくブライアントである。気がつけばNPBを代表する助っ人に。ブライアントはその後も活躍し、8年間で3度の本塁打王、1993年には打点を含めた二冠王に輝いている。1996年に現役を引退し、母国で古本屋や庭師をしながら余生を送っていたが、北海道フロンティアリーグ・士別サムライブレイズの監督として再来日。士別の街を盛り上げるために指揮官として奮闘している。

出典:『がっつり! プロ野球(32)』

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