助っ人外国人列伝/巨人投手編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。
来日1年目から16勝で最多勝!バルビーノ・ガルベス
【投手番外編】バルビーノ・ガルベス
〈NPB通算データベース〉
・勝利 46勝
・敗戦 43敗
・防御率 3.31
忘れ得ぬ「カリブの怪人」
本来であれば確実にベスト5にランクインした実績も、それ以外の部分で強烈のインパクトを残したのがバルビーノ・ガルベスだ。
ドミニカ出身のガルベスは、1981年にドジャースに入団。身長180センチながら筋肉質で重いストレートを持ち味としていたが、気分屋気質で素行不良が目立つなどの問題で主だった成績は残していない。
ほぼマイナー暮らしだったため、1994年に台湾リーグの兄弟エレファンツに移籍。ここで投手としての才能を開花させて2年連続2桁勝利を挙げたガルベス。しかし、台湾でも素行不良は相変わらずで途中解雇されてしまう。
行く先々でトラブルを起こしたガルベスは、日本球界で大事件を起こす伏線がすでにあったのだが、1996年に巨人の入団テストを経て入団が決まった。
意外にも技巧派の投球でいきなり16勝
素行には難があるも、投球自体のポテンシャルは高かったガルベス。ストレート、チェンジアップ、シュートの3つの球種のみで組み立てるピッチングは緻密で制球力も高く、強面の風貌から想像できない技巧派ぶりを発揮した。
とくに自信を持っていたシュートのキレは申し分なく、1年目からエース級の活躍を見せる。当時の巨人には斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄など名だたる先発投手がいたが、ガルベスは16勝を挙げて最多勝に輝いた。
こうしてガルベスは1999年まで先発ローテーションを守り、11.5ゲーム差をひっくり返してペナントを制した「メークドラマ」の立役者になるなど、90年代後半における投手陣の中心選手として大化けする。
だが、神経質な性格や気性の荒さは随所に現れ、1年目から中日の山崎武司と異種格闘技さながらの大乱闘劇を演じたり、微妙な判定に納得せず主審に暴言を吐くなど、やはり素行の悪さが改善することはなかった。
球界を揺るがせたボール投げつけ事件
決定的だったのが1998年7月に起こった「ボール投げつけ事件」だ。
この日のガルベスは際どいゾーンの判定がことごとくボールとされてイライラを隠せず、大豊泰昭に2打席連続アーチを浴びるなど試合を作れずにいた。
そして、坪井智哉を追い込んでから微妙な判定で三振を取れず、直後に本塁打を打たれると、納得のいかないガルベスは主審に詰め寄ってクレームをつけた。危険を察知した長嶋茂雄監督が投手交代を告げたのだが、怒りが収まらなかったのか主審に向けてボールを投げつける前代未聞の暴挙を働いたのだ。
幸いボールは主審に当たらなかったがかなりの球速が出ており、一歩間違えれば大惨事となる問題行動。この事件でガルベスは無期限出場停止となるだけでなく、長嶋監督が丸坊主にして謝罪するなど大きな波紋を呼ぶ出来事だった。
あまりの素行の悪さに日本でのキャリアをぶち壊してしまったガルベス。2000年に巨人を解雇になり、今度は韓国球界に移籍したがそこでも問題行動を起こして現役を引退した。
現在は母国・ドミニカ共和国で野球教室を創設し、メジャーリーガーの育成をしているという。
公開日:2023.12.11