助っ人外国人列伝/巨人投手編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。
来日1年目から16勝で最多勝!バルビーノ・ガルベス
【投手3位】ビル・ガリクソン
〈NPB通算データベース〉
・勝利 21勝
・敗戦 14敗
・防御率 3.29
バリバリのメジャー投手が日本上陸
さまざまな助っ人外国人選手が来日し、チームの主力各として活躍し始めた1980年代。しかし、ヤクルトのボブ・ホーナーなどメジャーの大物が増えていた打者に対し、投手は現役で実績のある助っ人はほとんどいなかった。
その意味で巨人に入団したビル・ガリクソンは、前年までメジャー球団のエース格として活躍していた現役バリバリの選手であり、これまでの助っ人投手のなかで最上クラスの大物である。
投手として高校時代に頭角を現したガリクソンは、1977年のMLBドラフト全体2位の高評価でエクスポズ入り。1980年からローテーションの一角を担うと、毎年のように2桁勝利を挙げる活躍を見せた。
一方、巨人では1987年にエースの江川卓が突然の引退を発表する。助っ人投手にその穴を埋めてもらうべく、移籍したヤンキースと折り合いの悪かったガリクソンに白羽の矢を立て、超ビッグネームの入団が決定した。
糖尿病と闘いながら巨人で奮闘
「最強助っ人投手」と周囲が期待するなか、初登板からいきなり3連続完投の4連勝、4月の月間MVPを獲得。来日前は豪腕で押すタイプで言われていたが、遅めのリリースポイントでカーブやシンカーなど複数の変化球を織り交ぜる投手であり、引っかけて打ち取る技巧派だった。
1年目はローテーションを守りきって14勝とチームの勝ち頭となり、3完封を含む14完投はセ・リーグで断トツ。現役メジャーリーガーの力を見せつけ、江川の穴をしっかりと埋める活躍を披露した。
翌年も期待されたガリクソンだが、春先に半月板が損傷して出遅れると、持病の糖尿病が悪化してしまう。実は激しい運動が困難な1型糖尿病を患っていたのだ。1年目の大活躍でそう感じさせなかったガリクソンだが、実は厳しい食事療法とインスリンを打ちながらマウンドに上がっていたのである。
それでもガリクソンは可能な限り登板を続け、2年目は登板中に自らインスリンを打って奮闘し、少ない登板で7勝を挙げている。
帰国後にメジャーに復帰して最多勝
こうして強いインパクトを与えたガリクソンは、契約が切れると帰国してメジャーに復帰。1991年にはタイガースのエースとして最多勝に輝くと、病気のハンデを感じさせない投球を続けて1994年までプレーを続けた。
ちなみに巨人時代のガリクソンは、年俸以外の副収入のすべてを糖尿病患者のために寄付していた。日本糖尿病協会は、ガリクソンの勇士が糖尿病患者に勇気を与えたことを称え、1998年に「ガリクソン賞」を制定している。
現在はチャリティー活動をしながらリタイヤ生活を送っているガリクソン。日本でのプレーはわずか2年で21勝だったが、数字以上にいろいろな功績を残した助っ人投手である。
公開日:2023.12.13