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バリバリのメジャー選手がまさかの中日入り!メジャー譲りの実力発揮もトラブル続出だったウィリー・デービス

Text:橋本雅生

助っ人外国人列伝/中日ドラゴンズ編

日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ選手を紹介する。

バリバリのメジャー選手がまさかの中日入り!メジャー譲りの実力発揮もトラブル続出だったウィリー・デービス

【番外編】ウィリー・デービス

〈NPB通算データベース〉
・打率 297
・本塁打 43本
・打点 132打点

バリバリのメジャー選手がまさかの中日入り

番外編は中日が獲得した過去最大級の超大物メジャーリーガーにして、大トラブルメーカーとして悪名を残したウィリー・デービスを紹介する。

1940年にアーカンソー州で生まれたデービス。幼いころから瞬足であり、高校時代は野球のほかに陸上選手としても名を馳せていた。

100メートルを9秒台で走り、1960年のローマ五輪出場を夢見ていたが、伝説のスカウトマンとして知られたケニー・マイヤーズに誘われてドジャースに入団する。

プロ入り後、一塁までが近くなる左打者に転向すると、快足を鳴らしてすぐに頭角を現す。後にアメリカ野球殿堂入りするデューク・スナイダーからセンターのポジションを奪うと、1962年には打率・285、21本塁打、85打点、32盗塁と打って走っての大活躍を見せ、メジャートップクラスの選手となる。

当時のドジャースはナ・リーグ西地区の強豪で1963&1965年はワールチャンピオンになっているが、デービスはチームの韋駄天として貢献し、1964年には42盗塁、1969年には球団記録を更新する34試合連続安打をを達成している。

メジャー17年で通算2561安打、182本塁打、1053打点、398盗塁と燦然と輝く成績を収めたデービス。そんなレジェンドを中日が獲得したことに誰もが耳を疑ったものである。

メジャー譲りの実力を発揮もトラブルが続出

これほどの大物メジャーリーガーが中日に来ることは前例がない。では、なぜ入団が実現したのか。それはデービスが突然大声で叫ぶなどの奇行で球団やチームメイトとのトラブルを繰り返し、契約問題で揉めていたからにほからない。

来日したデービスは、トラブルメーカーの片鱗を覗かせ、打撃練習を平気ですっぽかすと、家族が風邪引いたことを理由にキャンプ4日目で帰国。再来日後も宿舎の湯船を泡だらけにしたり、日本の風習や野球を見下したりする発言を繰り返す始末。チームのキャプテンだった高木守道が激怒して大げんかするなど、開幕前から暗雲が立ち込めてしまう。

それでもメジャーの第一線で活躍した実力は本物だった。1977年、巨人との開幕戦では2安打に豪快なヘッドスライディングのタッチアップを敢行する瞬足ぶりを見せ、センターの守備では矢のようなレーザービームを披露。

5月の巨人戦では満塁の場面でライトフェンス直撃の長打を放つと、二塁を駆け抜けたデービスはさらに加速する。ボールが内野に戻ってきたときにすでにホームを踏み、NPB史上4人目のランニング満塁本塁打を涼しい顔をしてやってのけた。

さらに7月は月間打率・357、10本塁打、21打点と暴れ回ってMVPを獲得。このときすでに37歳と選手としはピークを過ぎている年齢のデービスだったが、「こんなプレーは朝飯前さ」の発言を地でいく躍動ぶりに首脳陣やファンは驚愕したものである。

だが、ハッスルプレーが災いし、8月上旬の試合で大飛球を追いかけてフェンスに激突。左手首を骨折してしまい、シーズンを棒に振ってしまう。そこまでの成績は打率・306、25本塁打、63打点と三冠王も狙える好成績を収めている。

厄介者扱いされて他球団へ無償トレード

とここまでは、助っ人外国人として文句のない活躍を見せたデービス。しかし、デービスの奇行や素行の悪さは相変わらずで、日本で成功を収めた同僚のジーン・マーチンを3Aの格下扱いして顎で使い、メジャーの一流としての「俺様ぶり」は目に余るものがあった。そのためチームワークが乱れ、デービスが活躍しても中日は最下位争いを演じてしまう。

ところが、デービスが抜けると萎縮してスランプに陥っていたマーチンがすぐに復活し、若手の田尾安志も頭角を現して最終的に3位でペナントを終える。この結果を考慮した球団は、デービス在籍のマイナス面が大きすぎるとして自由契約を通達する。

この決定にデービスは怒り狂ったというが、翌1978年は西武ライオンズの前身球団・クラウンライターに移籍。同年もそこそこの結果を残したが、取材時に金銭を要求するなど素行の悪さはむしろ拍車がかかっていた。

こうしてクラウンライターも解雇になり、帰国後にエンゼルスでメジャー復帰するも往年の力を発揮できず現役を引退する。

プロ野球をやっていたことでかろうじて社会に身を置けていたデービス。そのため、肩書きがなくなった引退後に生活が荒むのは明らかだった。

プライベートでは結婚と離婚を繰り返し、野球で稼いだ大金を使い果たす。挙げ句の果てには両親に金銭を要求して逮捕される事件を起こしてしまった。晩年はロサンゼルスでひっそりと暮らし、2010年に69年の生涯に幕を下ろしている。

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