助っ人外国人列伝/中日ドラゴンズ編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ選手を紹介する。
落合博満を泣かす優勝を決めるグランドスラム放った!タイロン・ウッズ
【第1位】タイロン・ウッズ
〈NPB通算データベース〉
・打率 289
・本塁打 240本
・打点 616打点
韓国球界を経由して日本で覚醒
昭和11年に発足し、NPBのなかで最古参に属する中日ドラゴンズ。昔から熱狂的なファンがいることで知られる中日は、昭和の時代から現代まで実力を伴う個性溢れる助っ人外国人の宝庫だ。
そのなかでラブすぽ編集部が1位に選出したのがタイロン・ウッズだ。1969年にアメリカ・フロリダ州に生まれたウッズ。中学生の頃を野球を始めたウッズは当時から体格が良く、高校ではアメリカンフットボールを経験。このときのウェイトトレーニングが強靱なパワーにつながった。高校卒業後の1988年にエクスポズからMLBドラフト5位指名を受けて入団する。
しかし、メジャー投手のスピードボールについていけず、オリオールズとレッドソックスのマイナー球団を渡り歩く不遇の日々が続いていた。
1996年にはレッドソックス傘下のトレントン・サンダーで打率・312、25本塁の成績を残し、いよいよ本格化かと思われたが、一塁しか守れない守備面の問題があり、アメリカでの10年はメジャーに昇格することがなかった。
ウッズにとって転機となったのが、韓国球界・斗山ベアーズへの移籍だろう。移籍した初年度から本塁打の韓国記録を更新する42本塁打を放ち、本塁打と打点の二冠を獲得。在籍5年間で通算打率・295、174本塁打、510打点の成績を残し、現在でも「韓国プロ野球史上最強の外国人助っ人」として認知されている。
こうして韓国で覚醒したウッズは、より良い待遇を求めてNPBの移籍を模索し、2003年から横浜ベイスターズでプレーすることになった。
中日移籍後もど迫力の打棒が冴え渡る
当時のウッズは外国人枠の関係もあり、同時入団でメジャーリーガーのスティーブ・コックスの控えの扱いだったが、コックスが期待はずれで早期帰国したことからハマの4番に定着する。
横浜でのウッズは日本人投手の繊細な制球力に戸惑うも、大洋一筋で巧打が光った高木由一コーチからボールを長く見て、右打ちする助言を受けると見事にはまった。
それまでは早打ちして外角のボール球を引っかけてしまうケースが目立ったが、アドバイス通りに実践すると本塁打が飛躍的に増えたのだ。185センチ、102キロのナチュラルな筋肉質から放たれる長打力は申し分がなかっただけに、確実性が上がったウッズのアーチが増えたのは当然だったのかもしれない。
左右の場外弾は当たり前、ときにはバックスクリーン超えの170メートル豪快弾を連発し、2003年から2年連続で40本超え&本塁打王を獲得している。
なお、韓国と日本で本塁打王に輝いた史上初の選手となったが、この記録を達成しているのは現在でもウッズのみ。こうして日本に来てさらに一皮むけたウッズは球界を代表する助っ人外国人となったが、当時35歳の年齢と高騰した年俸がネックとなって横浜を退団。中日と阪神の激しい獲得競争の末、2005年から中日でプレーすることになった。
当時の中日は落合博満が指揮官1年目でいきなりペナントを制覇し、ウッズの加入で2005年はさらなる期待が高まったシーズンだった。懸念されていたナゴヤドームの広さもウッズの圧倒的なパワーの前では問題ではなく、開幕直後から右へ左へバックスクリーンへとスタインドインを連発。ウッズの勢いにチームも呼応して開幕ダッシュに成功する。
しかし、交流戦前日のヤクルト戦で頭部付近への投球を投じた藤井秀悟に激怒したウッズは藤井の右頬を殴り、10試合の出場停止になってしまう。これが影響してか、復帰後のウッズは調子を崩し、チーム成績も下降。
結局、この年のペナントは2位に終わってリーグ連覇を逃しているが、ウッズ自身は打率・310、38本塁打、103打点と、主砲として申し分ない成績を残す。ただ、得点圏打率が物足りないことから、マスコミからは「打点は挙げるがチャンスに弱い」と指摘されることも多かった。
優勝を決めるグランドスラムであの落合博満が涙
中日2年目の2006年はウッズの本領発揮となるまさに大車輪の活躍ぶりを見せる。「ボス」と慕う落合のために勝負弱さを克服すべく、打撃フォームの改良に着手し、ボールをぎりぎりまで引き付ける新打法に取り組む。
すると、課題だった得点圏打率が上がって本塁打数もアップ。セ・リーグ史上2人目の1シーズン4本塁打など、手がつけられないほどの暴れっぷりを見せ、キャリアハイの打率・310、47本塁打、144打点を記録。本塁打と打点の二冠に輝いている。
同シーズンで記憶に残るのは、チームがマジック「1」で迎えた10月の巨人戦だ。ウッズは4回に先制3ランを放ち、3対3で迎えた12回には豪快な満塁弾を叩き込んで優勝を決定付けたが、この劇的な一打に冷静沈着で知られる落合が感情を露わにし、ウッズは目に涙を溜めた監督から抱擁を受け場面が印象深い。
2007年からも変わらぬ打棒を披露したウッズは、来日わずか5年で通算200本塁打を達成。2008年も35発を放って、助っ人外国人初の6年連続30本塁打以上を記録した。
このように中日ファンが認める助っ人外国人ナンバー1の活躍ぶりを見せたウッズだったが、39歳の年齢と守備面の衰えから年俸のダウン提示を受けると、これを固辞して退団。
ウッズはセ・リーグの他球団への移籍を希望し、阪神が獲得に乗り出したが年俸の折り合いが付かず、事実上この年で現役にピリオドを打った。
日本で大成功を収めて高額マネーを手にしたウッズの現在は、フロリダで牧場を経営しながら不動産業に従事している。
公開日:2024.02.14