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タイガース名スカウトが惚れ込んだセットアッパーとは?

Text:蔵建て男(構成・菊地高弘)

長年にわたってスカウト的観戦を続ける蔵建て男が、球団スカウト・編成担当者を直撃インタビューする企画。
今回はプロ経験がないにもかかわらず、25年間も阪神スカウトを務めた菊地敏幸さんが登場する。

中日1位:石川昂弥①(別タブで開きます)

■菊地敏幸(元・阪神タイガーススカウト)① 警備会社からスカウトへ

 菊地さんは社会人・リッカーのコーチを務めていたそうですが、どのような経緯でスカウトになったのですか?
菊地 私が34歳のときに野球部が休部になって、スポーツ用品の小売店に1年勤め、さらに警備会社に転職したんです。その会社は神宮球場の警備を任されていて、3年勤めて責任者になりました。
警備責任者は神宮球場の開場時に正面入口に立つことになっていたのですが、そこへ阪神のスカウトをしていた田丸仁さん(故人)が来て、独特のだみ声で「菊地、カネいくらもらってる?」と聞くんです。当時の年収を伝えると、田丸さんは「阪神のスカウトをやれ」と言いました。阪神はもう少し払えるからと。田丸さんは私の母校の法政二で監督を務めたり、法政大や東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)でも監督を務めたほどの人です。

 なぜ菊地さんに白羽の矢が立ったのでしょうか?
菊地 本当は別の元プロが候補だったんですけど、コーチになったので巡り巡って私にお鉢が回ってきました。「菊地ならできるんじゃないか?」と推薦してくれた人がいたそうです。

 スカウトとしてスカウトされたわけですね。
菊地 でも入ってみたら、会社員時代より給料が安いというオチが待っていたのですが(笑)。

 プロ選手経験がないことはハンディだったのでしょうか?
菊地 社会人の経験があるので、社会人の現場はスムーズなんです。でも、高校の現場ではハンディを感じました。名刺交換でも、私と元プロ選手のスカウトでは反応が違う。当時の上司は「接点を増やせ」という考え方だったので、監督とお酒を飲みに行ったり、なんとか名前を覚えてもらうようにしました。あとは自分が推薦した選手が活躍すること。結果を残すしかないと考えていました。


 最初の担当選手は誰ですか?
菊地 静岡高の山崎一玄です。そのピッチングに惚れて、会議で「なんとしても獲りたい」と推薦した投手でした。1990年のドラフト3位でしたが、「菊地の目はどんなもんや?」と試されていることを感じました。だから山崎には「お前が活躍してくれないとオレのクビが飛ぶから」とプレッシャーをかけましたよ(笑)。
華々しくはなくても、それなりの成績は残してくれました。その後、1993年に朝日生命の藪恵壹を担当
して、新人王を獲ってくれたあたりから「菊地が推薦したら間違いない」と言ってもらえるようになりました。

 当時の阪神は暗黒時代と言われていました。スカウトとして感じることはありましたか?
菊地 正直に言って、「どういう仕事してるの?」というスカウトの同僚もいました。とくに関西地区は地元のはずなのに、誰も選手を推薦しない。会議での報告を聞いても「紅白戦でホームランを何本打ちました」とか、その選手がプロでやれるかという話すら出ない。そうしてリストから外して、他球団に持っていかれることばかりでした。でも、私としてはそういう人がいたから自分の居場所があったわけで……。その後に体制が変わって、3人ほどスカウトのクビが切られました。

ーー次回「菊地敏幸(元・阪神タイガーススカウト):②わかりにくい投手の見極め」へ続く
(初出:【野球太郎No.033 2019ドラフト総決算&2020大展望号 (2019年11月27日発売)】)

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