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中日1位、石川昂弥が「高校時代に最も成長した部分」とは?

Text:尾関雄一朗

キャンプ中に左肩の痛みを訴えるも、その後は順調な回復ぶりが伝わる石川昂弥(中日)。
将来の看板打者として期待される石川の入団前の成長過程を辿る。

ドラフトドキュメント①石川昂弥(別タブで開きます)

■「中日:石川昂弥③鳴り物入りで東邦へ」 

幼い頃から有望視され、世代の中心的存在であり続けた。小学6年でNPB12球団ジュニアトーナ メント・中日ドラゴンズジュニアの一員に選ばれ、中学3年でNOMOジャパンに名を連ねた。
比較的、厳しめの〝英才教育〞を受けてきたと言えそうだ。石川によると「小さい頃は、野球に関して父も怖かった。夏休みは朝に小学校でラジオ体操して、そのまま父と練習していた。
学期中も、朝に家の前でキャッチボールとノックをしてから登校。父に『練習行くぞ』と言われると、いやとは言えなかった」と懐かしむ。

さらに「小学校の時のチーム(ツースリー大府)も、4年生以下を指導していたコーチが怖くて。厳しかったけど、やめたいとは思わなかった。場面ごとの状況判断やバントの仕方、挟殺プレーなど、当た り前にすべき基本的なことを教わった」と思い起こす。
中学では愛知知多ボーイズに入団。「のびのびとやっていた」という雰囲気のなかで才能を発揮しながら、冬は近くの砂浜で足腰を鍛えた。
また、保育園から小学6年まで水泳を続けた。これが肩の強さにつながっていると本人は分析する。

東邦への入学は必然の流れだった。両親はともに東邦の卒業生で、特に父は野球部OB。小学校のチ ームや、中学生の頃に通った野球塾の指導者も東邦OBだった。
入学前に東邦の練習に訪れ、「森田監督を見て、なんとなくいいなと思った」と慕って門を叩いた。森 田監督の夫人が営む焼肉店の2階を下宿とし、同級生で遊撃手の熊田任洋、捕手の伊東樹里とともに 生活した。

入学直後は苦しんだ時期もある。周囲の高い期待の一方で、1年夏までは控えに甘んじた。両足 のケガも影響した。
「高校レベルの変化球のキレ、ストレートの質についていけなかった。うまくいかなくて『無理だ。このままつぶれていくのか』と悩んだ」と打ち明ける。ただ、森田監督は親心を 持ち、少し先を見通して石川の起用プランを練っていた。

「その頃は、彼を試合で使うのはもう少し先かなと思った。速い球への対応がまだ中学生レベルで、 引っ張りたくても引っ張れない感じだったので」
「ベンチには入れて、配球とか一発勝負の心構えを学ばせながらね。ただ、試合で使った時には大活躍すると思っていた」
1年秋に4番を任されると、活躍は冒頭(本コラム①)のとおりである。

3年時には主将も担った。「自分はリーダーシップをとるタイプではなかったけれど、周りを見ら れるようになった。そこが高校で一番成長した部分」と本人。
3年先輩の藤嶋健人(中日)とは主将としての系統が異なり、石川は雄弁なタイプではないが、自覚と責任は芽生えた。

次回、「石川昂弥:④投手もこなした高い能力」へ続く
(初出:【野球太郎No.033 2019ドラフト総決算&2020大展望号 (2019年11月27日発売)】)

取材・文:尾関雄一朗
1984年生まれ、岐阜県出身。
新聞記者を経て、現在は東海圏のアマチュア野球を中心に取材。
多くの「隠し玉選手」を発掘している。中日新聞ウェブサイト『中日新聞プラス』でも連載中。 アマ野球関連のラジオ出演なども多数。

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