高校入学前から常総学院でショートやサードで練習試合に出場!
90年代後半ジャイアンツ黄金時代、クリーンナップは高橋由伸、松井秀喜、清原和博が打っていたが、そのときの1番バッターと言えば仁志敏久。
まずは高校生時代、茨城の名門・常総学院でのトークを披露してくれた。
今の時代では禁止されているが、80年代は高校入学前の春休み練習試合に出られていたとのこと。つまり、中学3年生の状態で高校の試合に出るということだ。
仁志敏久も中学3年の春休みから主にショートかサードで使ってもらっていたと話してくれた。
ちなみに、プロでは主にセカンドだったが、仁志敏久が言うには「普通、プロなど上を目指す選手の学生時代は“バッターから見て左のポジション”を守るものだった」と教えてくれた。
公開日:2024.09.05