”早稲田大学→プロ野球入り”という選択をしなかった理由とは!?
早稲田大学でキャプテンも務めるほどの中心選手だった仁志敏久さんだが、プロ野球界には進まず社会人野球・日本生命に行った理由を聞いてみた。
大きな理由はオリンピックだ。
当時はアマチュア選手しかオリンピックに出られなかったため、オリンピックを経験してからプロ野球選手になろうと思っていたという。
そのオリンピックとは96年のアトランタ五輪なのだが、仁志敏久さんが大学を卒業したのは93年。96年のオリンピックに出るということは最低でも社会人野球界に3年はいないといけないことになる。
その3年が長いと感じるようになったのが日本生命に入って2年目の時だったという。
明確なルールはないが、慣習的に社会人野球を2年で卒業してプロ野球界に入るのが年齢的にもリミットとされている。
なので、このタイミングで社会人野球の3年目はやめて逆指名でジャイアンツ入団に心変わりしたとのこと。
結果としては95年ドラフトでプロ入りが決まり、アトランタ五輪に行くことはなかった仁志敏久さんの野球人生だったというわけだ。
ちなみに早稲田大学時代からオリックスが熱心に声を掛けてくれていたとのことで、少し運命が狂えばオリックス・仁志敏久が生まれていた可能性もあったという話もしてくれたラブすぽトークショーだった。
公開日:2024.10.17