FC今治でキャプテンを務める楠美圭史。現役を謳歌する26歳も、それまでの道のりは平坦ではなかった。ジュニアユースから東京ヴェルディに所属し、目標だったトップチームに昇格したものの、待ち受けていたのは厳しいプロの世界。一度は「引退」も頭をよぎったという現役Jリーガーが、アスリートのキャリアについて赤裸々に語った。(取材・文=新川諒)
プロになって「本当の戦い」が始まった
名門・東京ヴェルディのジュニアユース、ユースを経て、楠美圭史はプロサッカー選手になるという目標に向けて着々と階段を上っていた。だが辿り着いたトップチームでは、さらに厳しい戦いが待ち受けていた。
「トップチームの一員になってからは本当に大変で。今振り返ると、プロ選手としてはとてもやっていけるような実力ではなかったと思います。足りないことだらけでした」
楠美選手はヴェルディで2シーズンを過ごした後、期限付き移籍でヴェルスパ大分(JFL)に1年間所属。大きな怪我もあり前半戦は離脱したが、リーグ戦には13試合に出場し、その後ヴェルディに戻る。しかし同クラブのトップチーム在籍3シーズンで出場したのは、リーグ戦で15試合のみ。
「自分が一番好きなクラブでプロ選手になることができた喜びはありましたが、チームに貢献できなかったという部分では、苦しい思い出が多いですね」
プロ4年目のシーズンとなった2016年。最後の2、3ヶ月は「クビを覚悟してプレーする日々」(本人談)が続いた。実際に契約が満了してからは、サッカーを続けるべきか悩んだ時期もあった。
原点に立ち戻るために頼ったのは、自身がU-17日本代表の時に監督だった吉武博文氏。2016年シーズンから2年間FC今治の監督を務めた人物だ。「人生で一番楽しいサッカーをしていた」時の指揮官のもと、サッカーがしたい。そんな思いで自ら連絡を取った。
「もう一度サッカーを楽しくやりたい。それを叶えてくれるのは吉武監督ぐらいではないかと思いました。一緒にやらせてもらえないかと、自分から連絡をさせてもらいました」
クラブと共に成長していく
それでもFC今治に加入後、全てが順風満帆というわけではなかった。序盤は出場機会にも恵まれなかったが、下を向くことはなかった。
「やっているサッカーはすごく楽しかった。試合に出られない辛さはあったんですが、出られるように毎日トレーニングしている時間も充実していました」
少しずつ試合に出る機会も増え、現在クラブで5年目を迎えている。「こんなに長く在籍するとは思っていなかった(笑)」と楠美選手。
加入した当時、FC今治はまだJFL。再びJリーグの舞台に戻るために今治で早く活躍して、移籍のチャンスを得るという思いだったと楠美選手はいう。だがその気持ちに、だんだんと変化が訪れていく。
「ここで過ごすうちに、クラブが目指しているものや思い描いているビジョンを知るようになりました。クラブへの思い入れも強くなって、どんどんこのクラブが好きになりました。昨年からはチームキャプテンという立場にもなり、より強い思いを抱いてプレーさせてもらっています」
FC今治は「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」という理念を掲げている。サッカーやスポーツという言葉は一切含まれておらず、地域の人たちとの絆を深め、共感・信頼など目に見えない価値を大切にする、「まちづくりの核」となることを目指している。
元サッカー日本代表監督でありFC今治運営会社の代表取締役会長である岡田武史氏の下、育成年代からトップチームまで一貫したトレーニングメソッドで独自のチーム作りを行うが、あくまでも地域社会への貢献が根底にある。2023年には新スタジアムも完成し、人々の憩いの場になる予定だ。
「個人でJリーガーとして上を目指していく選択肢ももちろんあると思います。でも、クラブの成長と共に選手個人としても成長できるというのは、ものすごく幸せな環境だと思います」
FC今治は2020年シーズンからJ3に戦いの舞台を移した。念願のJリーグ復帰を、自分自身の手で掴むこととなった。
コロナ禍で変わった、キャリアへの向き合い方
ヴェルディ時代に一度頭をよぎった「引退後」の人生。JFL当時のFC今治ではアルバイトをしながら現役生活を続けている選手もいたため、競技以外も意識することはあった。とはいえ、セカンドキャリアに向けて特段行動に移している者は多くなく、楠美選手も同様だった。
だが昨年から世界中で猛威を振るうウィルスによって、サッカー以外の人生を考えさせられた。
「昨年のコロナの時期、トレーニングさえできない状況が続きました。プロになってから初めての状況。この時、『自分がサッカーを辞めたらどうするんだろう』と、ふと思ったんです」
そんな時、Jリーグの選手会によるミーティングで、セカンドキャリアの話を聞いて興味を抱くことになる。チームごとに年に2回開催されており、通常は訪問を受けての会になるが、現在は新型コロナの影響でZoomで行われている。
さらに、選手会には就学支援金制度も存在する。Jリーグに所属する選手が語学や資格など、新たな学びの機会を得たいときに申請できるもので、全ての申請が通るわけではないが、修了証を事後に提出することを条件に、選手会が一部の費用負担などを行うものだ。
そこで、チームメイトの橋本英郎選手にも話を聞き、『アスリート キャリアオーナーシップ アカデミー』というキャリア教育講座の存在を知ることとなる。
「キャリアアカデミーに参加して、どんなことをしていったら良いだろうかと考えるようになりました。正直、現段階ではまだ見つかっていませんが」
それでも普段は接する機会が少ない他競技の選手や、現役を既に引退した元アスリートの話は刺激になったという。
「競技のトップを走っていた方でも、『選手としての価値があるのは現役のうちだけ』と言っていたのが印象に残っています。であれば、価値があるうちに何かできるんじゃないか、何かした方が良いんじゃないかというのは強く感じました」
「外の世界を見ることが、今の競技力を高める」
楠美選手もこれまでは、現役選手がサッカー以外の活動をすることに対して少なからず疑問もあったという。サッカーだけに集中するべきではないかと。だが講座を通してその考えにも変化があった。
「外の世界を見ることが、今の競技力を高めることにつながると感じました。サッカー以外のことをすると批判もあるかと思います。ただ、こういう言い方が良いのか分かりませんが、それを跳ね返す、それに負けずに自分ができることにチャレンジされている方々はすごい」
サッカーという世界は自分が思っている以上に小さく狭い。講座にはチームメイトの橋本選手も参加していたが、参加者は野球、陸上、水泳、自転車競技と、サッカー以外の方が多い。
「他の競技の方とお話をして、知らないような話も多かった。でも、サッカーに活かせるものがほとんどだと感じて勉強になりました。現役のうちに始めることができなくても、自分がやりたいこと、できることを見つけられると良いなと思っています」
楠美選手は、講義の中で印象的に残ったという一節を明かしてくれた。
「たくさん挑戦をして、たくさん失敗した方が良い」
選手として、挑戦をすることで大きなことが掴める。自分が育ったクラブでのトップチーム昇格と挫折、そして新天地への移籍を経て、今治でキャプテンを務めるまでになった。地域とともに歩み、目の前に広がる様々な困難に立ち向かい続け、成長していく選手とクラブが今後も楽しみだ。
取材・文:新川 諒
現在はNBAワシントン・ウィザーズのマーケティング部でデジタル・スペシャリスト、そしてMLBシンシナティ・レッズではコンサルタントを兼務。フリーランスとしてスポーツを中心にライター、通訳、コンサルタントとしても活動。MLB4球団で合計7年にわたり広報・通訳に従事し、2017年WBCでは侍ジャパンに帯同。また、DAZNの日本事業立ち上げ時にはローカライゼーションも担当した。
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公開日:2021.07.12