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東京五輪金メダリスト小野喬の言葉で誕生した幼児体育クラブとは!?

きっかけは「五輪メダリストの一言」。幼児体育の創業ルーツ

-社長というともっと年上の方を勝手に想像していたので、お若くて驚きました。

「もともと代表が私の父親なんですが、今もまだ健在で会長としてやっています。西武池袋線の石神井公園でこの会社が始まったんですが、きっかけは1964年の東京オリンピックメダリストの言葉なんです」

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-55年前の東京オリンピックのメダリストの言葉?

「夫婦そろって体操でメダルを獲得した小野喬さん・清子さん夫妻です。父が弟子入りをしていたのですが、そのときに”これからは社会体育の時代だよ”という風なことを言われて。それまでは部活動を含めた学校体育が中心だったけれど、これからは東京オリンピックを機に小さい子たちが運動やスポーツに関わることが多くなるよ、と。今でこそ幼稚園に体育の先生がほとんど配置されていますが、当時はほぼ0%でした」

-お父様が、幼児体育の「開拓者」なのですね。

「そうです。練馬区だけでも40~50の幼稚園があったんですけど、その一部を紹介してもらって、会社を創業して、今に至ります。でも、”幼稚園でスポーツを教えている先生がいたな”という記憶は残っても、その会社の名前やバックにあるものは全然知られていない。女性が弊社を受けに来ることは増えてきたのですが、もっともっと携わる人が増えてほしいとは思っています」

-「体育」「スポーツ」というくくりの中でも、とりわけ「幼児」に特化した理由はあるのでしょうか。

「当時は保育園よりも幼稚園が主流でしたが、お母さんと2歳まで過ごし、幼稚園に入って初めて親元を離れた時間を過ごす。そこに運動を入れることで、より運動力が高まる。やらされているのではなくて、自然の中に入って遊びを中心とした運動をして、自分の身を守ったり、相手を思いやる気持ちを身に着けていく。そういったことを含めてやっていくというのはやはり3歳から5歳だろうというところで目を付けました」

【インタビュー】さわだスポーツクラブ 澤田康徳

◆経歴◆
1981年、東京都出身。学生時代はゴールキーパーとしてサッカーに打ち込み、高校までプロ選手を目指していた。日本体育大学を卒業後、同業他社である幼児体育のスポーツクラブで4年間修業。26歳で父の創業した「さわだスポーツクラブ」に就職。現在は社長を務める。幼稚園教諭の美人女性と結婚。

【取材元】スポジョバ〜スポーツ業界に特化した求人メディアサイト〜
取材・構成=久下真以子
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