ゴールドウイン販売本部、山本雅弘氏インタビュー
ーーゴールドウインは、創業70年。長い歴史を誇っていますよね。
山本:もともと富山県にある会社で、今も工場がそこにあります。前身は「津沢メリヤス」という肌着を製造する会社だったんです。1964年に東京オリンピックのユニフォームの製造依頼を受けたことが最初の転機でした。
レスリングや器械体操、そういった競技ユニフォームも全部作りましたし、その中で女子バレーボールは金メダルを取るわけです。
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ーー「東洋の魔女」は歴史に名を刻みましたね。
山本:それで先代の社長が「これからはスポーツの時代だ」といって、富山から東京に出てきたんです。
東京オリンピック前年に社名を「ゴールドウイン」に変更しているんですけど、由来をご存知でしょうか? 「ゴールド=金」で「ウイン=勝つ」。つまり、金メダルを取るという意味が込められているんです。
ーーそれは知らなかったです!
山本:次の転機が1980年代後半。イタリアのスポーツウエアブランド「ellesse(エレッセ)」と提携してスキーウエアを作っているときに、「私をスキーに連れてって」という原田知世さん主演の映画が大ヒット。
世の中にスキーブームが起こりました。ユーミンの「恋人はサンタクロース」が挿入歌でしたね。上下1着10万円のスキーウエアが弊社からどんどん売れていきました。
ーー時代にうまく乗っていますね!
山本:その後も「HELLY HANSEN(ヘリーハンセン)」「Champion(チャンピオン)」、そして「THE NORTH FACE(ザ・ノースフェイス)」などたくさん手掛けさせてもらって、ここまで来ました。
どの会社も未来の保証なんてないですけど、先代の思いを引き継いで、こだわりだけは持ってやってきました。それが、「自社工場だけは手放さないこと」。そして、「メーカーとして高品質を求め続けること」です。
登山ウエアだったら、三浦雄一郎さんが認めてくれるものじゃないといけないし、エベレストを登れるようなものでないといけない。結果としてそれを一般の方々がオシャレとして着ていただけると、私たちはハッピーなんです。
【インタビュー】
株式会社ゴールドウイン 山本雅弘(やまもと・まさひろ)
◆経歴◆
大阪府出身。近畿大学アメリカンフットボール部を経て、新卒で(株)パシフィックスポーツ(ダイエーグループ)に入社。33歳で株式会社ゴールドウインに転職。
現在は販売本部に所属する傍ら、ゼット株式会社に出向し小売店のサポートやアドバイスを担当している。1955年10月18日生まれ。郷ひろみと同じ生年月日。
【取材元】スポジョバ〜スポーツ業界に特化した求人メディアサイト〜
取材・構成=久下真以子
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公開日:2020.04.07