高卒ルーキー最多本塁打の相手投手
野球のピッチャーはバッターを打ち取るのが仕事だが、バッティングピッチャー(BP)は、その反対である。しかも気持ちよく打ってもらわなければならない。誰にでもできる仕事ではないのだ。
元ロッテの田子譲治が巨人のBPを務めたのは1991年から2009年までの19年間だ。ロッテには9年間在籍し、通算2勝2敗の成績を残している。
「巨人の待遇はよかった。BPでも年俸は1000万円を超えていました。他の球団なら500万円くらいですよ」
清原和博がFA権を行使して、西武から巨人にやってきたのが97年。田子が“清原の恋人”と呼ばれるようになったのは01年からである。
「たまたま東京ドームの風呂場で一緒になった時、清原から“僕に投げてくれませんか?”と頼まれた。僕の一存では決められないので“コーチに頼んでくれ”と。それがきっかけで、早出の特打に付き合うようになったんです」
清原と田子の間には浅からぬ因縁があった。86年10月7日、川崎球場で清原はルーキー最多本塁打タイ(高卒ルーキーでは最多)の31号をマークするのだが、その相手こそ田子だった。
「いくら清原がすごいとは言っても“こんな高校を出たばかりのヤツに打たれるわけにはいかん!”と思ってましたよ。先輩の愛甲猛さんにも“打たれるなよ”と冷やかされました。
打たれたのはインコースから抜け気味のカーブ。泳がせることができたんですが、一瞬、体がくっと止まり、バットの先でレフトポールの上に持っていかれましたよ」
巨人で清原と再会したのは、その15年後である。
「付き合ってくれた田子さんに感謝したい」
1試合に2本のホームランを打った後、清原はインタビューでそう答えたこともある。清原が2軍に落ちた時には、「そんなに巨人にこだわる必要ないんじゃない?」と彼の心情を慮った。
それだけに16年2月2日、清原が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された時には驚いた。
ニュースで清原に身元引受人がいないことを知り、自ら名乗りを上げたこともある。
「警察に面会を申し込んだのですが、“誰とも会いたくない”と。野球の世界に戻る前に、地道な仕事をやれ、と言おうと思っていた。皿洗いで1万円稼ぐのがどれだけ大変か。それを知っているだけでも、その後の人生の役に立つと思ったものですから……」
現役を引退してからの方が長いのが、プロ野球選手である。野球を辞めても人生は続いていく。
(初出=週刊漫画ゴラク2021年12月10日発売号)