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織田信長の「天下布武」は全国制覇のスローガン?【戦国武将の話】

Text:小和田哲男

「天下」は畿内を指し、畿内の秩序回復が目的

数ある戦国大名のなかでも織田信長(おだのぶなが)の人気はずば抜けている。

いつ果てるとも知れない混戦状態から大きく抜け出し、天下統一への道筋を切り開いた人物であれば当然かもしれないが、家督を継いでから本能寺で斃(たお)れるまでの30余年間、絶体絶命の窮地に陥ること幾たびか。なかでも最初にして最大の危機は、永禄3(1560)年、駿河の今川義元(いまがわよしもと)を迎え討っての桶狭間(おけはざま) の戦いだった。

駿河(するが)・遠江(とおとうみ)2カ国に加え、三河(みかわ)をも従属させた今川義元に対し、織田信長は尾張一国の統一を叶えたばかり。兵力の差は歴然としていた。

正攻法で太刀打ちできないのは明らかで、重臣たちの考えも降伏か籠城の二択という状況下、信長だけは唯一今川軍に勝る地の利を活かして、勝利を呼び込むべく情報収集に怠りなかった。

局所的でも数的優勢を築ければ勝機はある。信長はわずかな可能性を頼みとして、物見からの知らせを待った。

今川軍がどの道を進むのか。隊列はどうなっているか。義元の移動手段は馬か輿(こし)か。信長は徹底して情報を集めたのだ。

そして必要な情報がそろったところで、作戦を開始させた。縦に伸び切り、守りの薄くなった本陣を急襲しようというのである。

もともと起伏の多い桶狭間の地は、視界がよくない。さらに信長にとって好都合なことに、突然の豪雨が馬蹄(ばてい)や馬のいななきをかき消してくれた上、水
田をぬかるみへと変え、今川軍の増援を足止めさせる役割を果たした。

桶狭間の戦いにおける信長の勝利は、奇襲というよりも、徹底した情報収集と天の恵みが重なったことでなし得たのだった。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』
著者:小和田哲男  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1944年、静岡市生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史で、戦国時代史研究の第一人者として知られている。NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」およびNHK Eテレ「知恵泉」などにも出演、さまざまなNHK大河ドラマの時代考証を担当している。


「織田信長の桶狭間の戦いの勝利は、奇襲ではなく、徹底した情報収集と天の恵みのおかげだった」「徳川家康は自らの意思で正室と嫡男を殺した」「毛利元就の遺訓、三本の矢は後世の創作」従来の通説をくつがえす戦国史の新説をたっぷり検証!人気戦国武将52人の意外な素顔と戦いがわかる!戦乱の世を苛烈に生き抜いた、個性的で魅力あふれる戦国武将たち。信長、秀吉、家康の三英傑をはじめ、北条早雲、今川義元、武田信玄、上杉謙信、明智光秀、竹中半兵衛、黒田如水……。日本史に名を刻んだ戦国の武将たちの真実と魅力を、最新研究で徹底解説します。さらに戦国史研究の第一人者、小和田哲男が、先見性、企画力、統率力、実行力、教養、5つのポイントから真の実力を判定。

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