北海道を開拓したのは武士と囚人だった?【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】

鎖につながれ原野を開拓した囚人たち

ロシアへの防衛強化のための北海道開拓を初めて手がけたのは、寛政12年(1800)に蝦夷地に渡った幕臣の八王子千人同心でした。しかし、あまりにも過酷な環境だったため、千人同心は入植4年目に撤退してしまいました。

その後、明治2年(1869)に政府は「開拓使」を設け、北海道の本格的な開拓に着手。明治初期には、明治維新において新政府と対立したことで領地を失った旧会津藩・仙台藩などの士族たちのほか、近代化にともなう制度改革により失業した多くの士族が各地から北海道へ移住し、開拓に従事しました。

また、明治8年(1875)から同32年(1899)にかけては、屯田兵とその家族約4万人が入植。また、開墾会社に応募して移住した人々や農民の団体移住、単独移住なども多く、明治初期から大正11年(1922)までの北海道移民の総数は約200万人と言われています。

そのほかにも、北海道の開拓に従事した人たちがいます。北海道の樺戸(かばと)や空知(そらち)、釧路にあった集治監(刑務所)に収容された長期刑の囚人たちです。彼らは逃亡防止のため2人ずつ鉄の鎖でつながれた状態で原野を田畑にし、基幹道路を切り拓きました。しかし、囚人の減少や過酷な労働への批判が強まったことから、囚人労働は明治27年(1894)に廃止されました。

北海道を開拓した人々

北海道の人口の推移

明治2年(1869)の北海道の人口は約6万人にすぎませんでした。その後、明治34年(1901)には100万人を超え、大正7年(1918)には217万人を数えるまでになりました。

なお、現在の北海道の人口は約509万人(2024年総務省発表)ですが、前年比で約4万6000人減と、減少幅は全国最大です。

▲『北海道屯田兵制度』(国立国会図書館蔵)より。○が屯田兵村、●が支庁(屯田兵の管理・監督を行う行政機関)の所在地(明治36年度)。
▲『北海道屯田兵制度』(国立国会図書館蔵)より。○が屯田兵村、●が支庁(屯田兵の管理・監督を行う行政機関)の所在地(明治36年度)。
▲『北海道移住手引草 第22』(国立国会図書館蔵)の表紙。明治33年(1900)から大正、昭和初期にかけて、北海道庁拓殖部からほぼ毎年発行されていたリーフレット。
▲『北海道移住手引草 第22』(国立国会図書館蔵)の表紙。明治33年(1900)から大正、昭和初期にかけて、北海道庁拓殖部からほぼ毎年発行されていたリーフレット。

囚人たちが建てた北漸寺

北海道に初めて刑務所「樺戸集治監」が設置された月形町には、囚人たちが建てた寺として知られる北漸寺」があります。同寺は、囚人の労役によって明治18年(1885)に仮御堂が、明治42年(1909)に本堂が建てられました。北漸寺の本堂や正面玄関には、囚人たちの手による精細な木工彫刻が残されています。

北漸寺本堂と、本堂や正面玄関に彫られた彫刻。囚人の奥田房太郎が棟梁を務め、彫刻も大工や木工の技術を持つ囚人たちによって彫られた。
北漸寺本堂と、本堂や正面玄関に彫られた彫刻。囚人の奥田房太郎が棟梁を務め、彫刻も大工や木工の技術を持つ囚人たちによって彫られた。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』監修:和田 哲

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』
監修:和田 哲


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