江川卓のいた風景。完全犯罪未遂事件【二宮清純 スポーツの嵐】


真っ直ぐなら三振を…
高校時代から“怪物”の異名をほしいままにした江川卓という投手には、なぜか“悲運”の2文字が付きまとう。
甲子園には作新学院3年時に出場し、春は大会記録となる60三振を奪いながら、準決勝で広島商に惜敗した。
夏は2回戦で銚子商(千葉)に延長12回裏、押し出し四球でサヨナラ負けを喫した。土砂降りの雨が、指先の感覚を微妙に狂わせた。
大学では、法政大の先輩・山中正竹が持つ東京六大学野球記録の48勝に、あと1勝と迫りながら、わずかに及ばなかった。
歴史にイフは禁句だが、2年秋の慶応大戦で6対2とリードしていながら翌日の登板に備えて、4回でマウンドを降りた。5回まで投げていれば勝ち投手の権利を得ていた可能性が高い。
プロでは、入団3年目の1981年に20勝(6敗)をあげ、巨人の4年ぶりのリーグ優勝と8年ぶりの日本一に貢献した。最多勝、最優秀防御率など投手5冠に輝いた。
その年のプロ野球(88年まではセ・リーグのみ)で最も活躍した先発完投型の投手に贈られる沢村賞に、誰よりもふさわしい成績を残しながら、18勝(12敗)の西本聖にタイトルをさらわれた。
いわゆる“空白の1日”を利用した入団時のゴタゴタが尾を引き、記者投票で支持を得られなかったのだ。
受賞した西本も、ある意味被害者だった。同僚から白い目で見られ「ともに優勝を喜び合ったはずの仲間が、誰ひとりとして僕を祝福してくれない。寂しくてやり切れない気持ちだった」と語っている。
番狂わせの投票結果は、不幸にもチームに亀裂をもたらしたのである。
オールスターゲームでも、江川は大魚を逸した。
84年の第3戦、ナゴヤ球場。4回から全セの2番手として登板した江川は、福本豊を皮切りに8連続三振を奪った。
江夏豊が71年にマークした9連続三振まで、あとひとつ。ところがミートの巧い大石大二郎に2ストライクナッシングからのカーブを叩かれセカンドゴロ。
「真っすぐなら三振をとれていたのに……」
多くの者が残念がった。かくいう私もそのひとり。
ところが後年、捕手の中尾孝義に事の真相を知らされる。江川はワンバウンドのカーブで空振りを誘い、中尾がわざと後逸。振り逃げで三振を9とし、次の打者から10個目を奪う計画だったというのだ。
恐るべし江川卓。“完全犯罪”は結局、未遂に終わったが、41年前の夏、江川はミステリーまがいの奇策で歴史を塗り替えようとしたのだ。
初出=週刊漫画ゴラク2025年7月25日発売号