野村野球の後継者。ヤクルト池山隆寛新監督【二宮清純 スポーツの嵐】

“一球一球に根拠を持て。そのためには準備しろ”
東京ヤクルトの来季監督に、池山隆寛2軍監督の就任が決まった。
現役時代は、豪快なフルスイングで“ブンブン丸”と呼ばれ、ファンに親しまれた。
プロ入り5年目の1988年から92年まで、ショートのポジションで5年連続30本塁打以上を記録した。その一方で三振も多く、88年、89年、92年にはリーグの“三振王”となっている。
85年にプロ入りした広澤克実との“イケトラコン1988タレント顔負けの人気を誇り、「プロ野球ニュース」の常連だった。
だから、90年に監督に就任するなり、野村克也はこう毒づいたのだ。
「タレントはいらんわ!」
これについて、後年、池山はこう語っている。
「おいおいって思いましたよ。まだ会ったこともないのに、って」
野村の言葉に「人間は無視、称賛、非難の段階で試される」というものがある。
三流の選手は、誰にも相手にされない。すなわち無視。二流になると、「アイツは伸びる」「いいものを持っている」と称賛されるようになる。しかし、そこで浮ついているようでは、その先には行けない。期待されているからこそ一流は、少しのミスでも非難され、それを糧に、さらに前進する――。これが野村の説く成長のメカニズムだった。
逆説的に考えれば、いきなり「非難」の的となった池山は、既に「一流」として認められていた証であり、期待の裏返しでもあったのだ。
92年、池山は26歳にして初めてリーグ優勝を経験する。野村ヤクルトは、翌93年も連覇し、日本シリーズでは4年連続日本一を狙う西武を4勝3敗で撃破する。95年、97年にも日本一。野村の下で池山が学んだのは「準備の大切さ」だった。
豪快なホームランと背中合わせのフルスイングによる三振をトレードマークにしていた池山だが、生前、野村は「三振という結果だけを見て怒ったことは一度もない」と語っていた。
「要は、その空振りに根拠があったのか。それさえ、しっかりしていればいいんです。こういうボールを待っていたけど、狙っていたボールとは違っていた。だから見逃した、と説明できればいい。だから選手たちには、こう言いました。“一球一球に根拠を持て。そのためには準備しろ”とね」
池山は東北楽天のコーチ時代も含め、野村の下で13年も歳月をともにしている。ある意味、野村野球の正当な後継者と言えるかもしれない。
初出=週刊漫画ゴラク10月17日発売号
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