サブロー監督誕生。昭和野球への回帰【二宮清純 スポーツの嵐】

「甘さを取り除いて厳しい練習を」

 今シーズン、優勝した福岡ソフトバンクホークスから31.5ゲーム差も離されて8年ぶりの最下位に沈んだ千葉ロッテの新監督に、1軍ヘッドコーチのサブロー(本名・大村三郎)が昇格した。

 2軍監督で今シーズンを迎えたサブローは、宮崎・都城での2軍キャンプをスタートするにあたり、若い選手たちに「昭和のキャンプをやろう!」と檄を飛ばした。

 1軍監督で迎える来シーズンも、選手には厳しい態度で接するはずだ。就任会見では、「甘さを取り除いて厳しい練習をし、来季は若手が羽ばたいていけるチームにしたい」と抱負を述べていた。

 近頃、「昭和」という言葉には、どこかネガティブなイメージが付きまとう。古くさい、時代遅れ、非論理的……。確かに、そういう面もなくはない。しかし、だからと言って諸悪の根源のように全否定するものでもあるまい。

 個人的な話をすれば、フリーランスになってしばらくして、週刊誌のアンカーマンの仕事にありついた。取材を終え、夜中に編集部に戻ってくると、机の上に他の記者が取材してきたデータ原稿が山のように積んであった。

 読むだけでも一晩はかかる。ところがデスクは、私にこう命じたのだ。

「明日の朝までに仕上げてくれ。原稿用紙は(400字詰めで)20枚もあればいいよ」

 もちろん徹夜である。左手でデータ原稿をめくり、右手で必死にペンを走らせる。読みながら書くのだ。すると不思議なことに夜が明ける頃には、ノルマの枚数を書き上げていた。

 あれ以来、デスクからどんな無茶な指示が出ても、ジタバタしなくなった。理不尽への耐性が付いたのである。

 サブローに話を戻そう。彼は若手時代、今は亡き山本功児コーチ(後の2軍・1軍監督)に、鉄は熱いうちに打て、とばかりに鍛えられた。

 キャンプ中は「朝から晩まで練習に付き合ってもらった」。プロで22年間もプレーできたのは、若い時期にしっかりと精神的、肉体的な土台をつくったからである。

 師と仰ぐ山本は、2016年4月、肝臓ガンため64歳で世を去った。サブローの2軍監督時代からの背番号「86」は、山本がロッテ監督時代に付けていたものである。

 本人にとっては納得のいかない出来事もあった。11年6月、巨人へのトレードが通告される。本人はロッテ一筋と決めていたが、チームは若返りを図っていた。

 しかし、人が成長する上で「他人の飯を食う」ことは重要だ。それが彼の血肉となっていることは想像に難くない。

初出=週刊漫画ゴラク10月31日発売号

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