法隆寺の僧侶さえ1000年以上拝めなかった「秘仏中の秘仏」の国宝とは?【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

法隆寺仏僧さえ瞻仰(せんぎょう)法度だった秘仏中の秘仏!

聖徳太子に似せて造仏された救世の心 ── 観音菩薩立像

 「観音菩薩立像」(国宝)は法隆寺東院の夢殿に安置された本尊であり、通称名を「救世観音」として知られる。立像本体は179.9cm。すらりと伸びた体躯は生前の聖徳太子に似せてつくられた「御影救世観音」であるとの文書もある(天平宝字5年/761年「東院縁起」)。そのためか、「見ると祟りがある」との噂があり、法隆寺の僧侶さえも明治の世を迎えるまで見ることが許されなかった。秘仏中の秘仏である。

 しかし、明治17年(1884年)、明治政府の御雇外国人として来日し、東京大学(1886年帝国大学、のち東京帝国大学と改称)に在籍していたアーネスト・フェロノサらが文化財の調査活動中に発見。僧侶たちと激しく、長い議論を重ねた末、観音菩薩の封印を解いたという逸話を残す。いまは年2回、春と秋に一般公開されている。

 ところで、太子の薨去後、聖徳太子一族の住む斑鳩宮は、皇極2年(643年)、蘇我入鹿(生年不詳〜645年)の兵による襲撃を受け、大炎上。上宮王家(聖徳太子一族の呼称・住居)は消滅してしまった。東院は斑鳩宮跡地に天平10年(738年)ごろ建設されたが、八角円堂の夢殿が本堂である。その本尊として聖徳太子とほぼ等身大の仏像が造立されたとすれば、誰が、どういう意味でつくり、祀ったのか、想像がつくのではないだろうか。歴史と文化とは、かくも意味深い。

 それにしても、法隆寺が建つ斑鳩の里は生駒山地の程近く、大和川を通じて大和国と河内国を結ぶ交通上の要衝にある。大陸との通行、往来を意識し、仏教中心の新しい国造りに励む青年太子の活動舞台として見れば、ぴったりの土地であった。活き活きと動き回る姿が思い偲ばれる。

「祟り」から解放!太子と瓜二つの像だ 観音菩薩立像

【法隆寺夢殿 観音菩薩立像(御影救世観音)】

昭和26年(1951年)に国宝指定 / 奈良県斑鳩町法隆寺所蔵

天平10年(738年)に高僧行信の尽力で斑鳩宮跡地に法隆寺東院伽藍が建設。本堂は夢殿。飛鳥時代7 世紀半ばごろに造像されたと見られる本尊は、生前の聖徳太子実像に似せたとされる観音菩薩立像で、御影救世観音ともいわれる。法隆寺を代表する観音像。楠木の一木造りで漆塗りの上に金箔が施された仏像。観音像はすらりと伸びた体躯だが、目尻がややつり上がり、鼻が大きい。いずれも聖徳太子本人の実像に近い風体だという。像高179.9cm。


にゃん太:救世観音って聖徳太子に似てるのかな?
わん爺:うむ、そういわれているな。「救世」とは世の苦しみから衆生を救う意味だから、太子にはピッタリかもしれん。なにしろ太子自身の化身ともいわれておるし、頭に小さな「化仏」を載せていて、これも太子の化身という。二重に太子の姿を写しているのだな。だが、太子の化身を人目に晒すのは畏れ多いし、祟りがあるともいわれて秘仏になったのじゃな。
にゃん太:なんか怖い話。でも、秘仏だったら誰も見られないじゃん!
わん爺:まっ、そこはよくしたもので明治に入ってから法隆寺を調査したお雇い学者のフェノロサたちが秘仏のご開帳を迫り、僧侶に説得に説得を重ねてその封印を解いたというな。
にゃん太:ヘェ〜そうなんだ。でも、この仏さまはどこがいいの?
わん爺:そうだのう、まずスタイルがいい。八頭身だな。秘仏とされたためか、ミイラのように布で巻かれていたため劣化を免れて金箔が残った。楠木の一木造りで左右対称。柔和な微笑みを彫り出した技術の高さ。仏師がわからないうえに、何よりも秘密めいた由来が人を惹きつけるのかもしれんな。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』著:鈴木 旭

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』
著:鈴木 旭


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