昭和は火薬もナイフも当たり前だった!? 現代では禁止レベルの”サバイバル”な外遊びとは【眠れなくなるほど面白い 図解 昭和の話】

火も刃物も自己責任!? 昭和の外遊びはサバイバルだった

火薬や刃物への制限が少なかった

昭和の子どもたちは、現代では信じられない危険すぎる外遊びをしていました。爆竹やマッチを使った火遊び、石を飛ばすパチンコ、さらには小刀やナイフを手に秘密基地をつくる―そんな光景が日常的に広がっていました。

なかでも、火を使った遊びの代表格といえるのが爆竹です。駄菓子屋で数十円の爆竹を買い、空き缶や瓶に仕掛けます。火薬の勢いで缶が飛ぶ「空き缶爆弾」は大人気でしたが、当然やけどや事故の危険もつきまといました。夏には花火でも遊び、ロケット花火を飛ばしたりして火遊びの幅が広がりました

また、刃物を使う遊びも珍しくありません。肥後守(ひごのかみ)と呼ばれる折りたたみナイフは、鉛筆を削ったり木を削ったりする道具として小学生にも広く使われていました。ナイフで枝を切り、パチンコをつくって遊ぶなど、現代なら禁止されそうな遊び方が当たり前でした。

こうした遊びは危険と隣り合わせでしたが、子どもたちは失敗やケガを通じて「危ないことと危なくないことの境界線」を学んでいきました。昭和の外遊びはまさにサバイバルであり、身をもって実地で教訓を得ていたのです。火や刃物を手にした体験は、危険といえども、自らさまざまなものをつくり出す唯一無二の貴重なものだったといえるでしょう。

昭和の刺激的な外遊び

今では考えられない“危険な日用品”

昭和の子どもは火薬やナイフ、パチンコを日常的に扱っていました。大人の監督は少なく、ケガも遊びの一部とされ、危険を通じて加減を学ぶのが当たり前でした。

駄菓子屋で火薬が買えた

爆竹・2B 弾・かんしゃく玉は数十円で誰でも購入可能。遊び道具と同列に扱われていた

パチンコは自作も当たり前

枝を切ってゴムを付ければ即席の武器兼おもちゃに。石や鉄球を飛ばす危険性もあった

ナイフが小学生の必需品だった

肥後守(折りたたみナイフ)は鉛筆削りや木工用として持ち歩き、禁止されるどころか「工作の必需品」だった

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 昭和の話』監修:町田 忍

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 昭和の話』
監修:町田 忍


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