“努力しない救い”? 念仏が“修行”でも“善行”でもない理由【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


念仏を唱えることで自力から脱する
第八条では念仏とはどういうものか、ということについて説明しています。
冒頭に「念仏は行者のために、非行・非善なり。」と記されています。
念仏は座禅や写経、読経など「仏教の修行」ではありません。
困っている人を助けたりする「善い行い」でもないのです。
念仏を唱えることは、修行でもなく、善い行いを積んでいるわけではありません。念仏とは阿弥陀仏のはたらきによるものですから自力を超えています。
ですから念仏を唱える者にとって念仏とは、「行」(修行)でもなく、「善」(善い行い)でもないのです。
私たちは「自分の力(自力)」で何かを成し遂げようとしても限界があります。
しかし、「阿弥陀如来の力(他力)」は無限であり、私たちを必ず救ってくれます。念仏とは阿弥陀仏の力に身を委ねる行為です。
それは自分の力を忘れ、阿弥陀仏による力にすべて身を委ねることで、安らぎと喜びを受け取る近道なのです。
念仏を唱えるときは、特別なことをする必要はありません。阿弥陀仏に対し「ありがとう」の感謝の気持ちを抱き、素直に阿弥陀仏の力を受け取るだけでいいのです。
念仏は私たちが自力で努力して手に入れるものではありません。阿弥陀仏が私たちを救うための贈り物なのです。すなわち念仏とは阿弥陀仏の愛情表現と言えるでしょう。それが「南無阿弥陀仏」なのです。

念仏を唱えることは「仏教の修行」ではありません。困っている人を助ける「善い行い」でもありません。

((安らぎと喜びを受け取ることができる))
ワンポイント!
「念仏」の「念」には、心をこの一点に集中するという意味があります。「念仏」には、仏を心の中に描き、集中して安心を得るという意味があります。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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