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十二縁起で述べていることはすべて「ない」【般若心経】

Text:宮坂宥洪

乃至無老死(ないしむろうし)

お釈迦様が説かれた十二縁起の項目は、次のようなものです。

「① 無む 明(みょう=無知)→②行(ぎょう=自己形成)→③ 識(しき=認識作用)→④名色(みょうしき=自我の諸要素)→⑤六処(ろくしょ=六つの感覚)→⑥触(そく=対象との接触)→⑦受(じゅ=感情)→⑧愛(あい=欲望)→⑨取(しゅ=執着)→⑩有(う=生存)→⑪生(しょう=生活)→⑫老死(ろうし=老いと死)」。無明から行が生まれ、行から識が生まれ…と原因が結果を生み、結果が原因になって、最後は最大の苦である老死に行き着きます。

無明のなかにいるうちは無明が見えない

 

これを踏まえて、般若心経の文言の続きを見てみましょう。「乃至」は、先にも述べたとおり、「間のものを省略する」という意味です。すると、前項からの流れで、無明から老死までの12項目すべてが「ない」といっていることがわかります。〈私〉を意味する4階建ての建物でいうと、1階や2階にいる状態。人は誰でも、最初は無明です。

無明のなかにいる間は、無明であることすらわかりません。

3階に行くと、人は無明から脱します。思いのままにならない自己を構成するさまざまな要素を、つぶさに観察できるレベルです。これが舎利子のいる場所です。

そうなれば、苦の原因をなくせるはずでした。ところが、3階にいる人々は、今度は十二縁起の法則性に固執して「苦」を生み出してしまったのです。

それを4階から見て、「十二縁起は各自が瞑想したとき、心深くに起こるプロセスであり、実在視すべきものではない」といっているのが、般若心経なのです。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。

今、人気の空海(真言宗)をはじめ、最澄の天台宗、臨済宗、曹洞宗で読まれている「般若心経」。写経を中心に長く人気を博している般若心経だが、まだまだ「難しい」「よくわからない」といったイメージを持たれることも多い。今回は、現代語訳をしっかりと解説しつつも、私たちの実生活と結びつけながら、その思想や意図するところをわかりやすく解き明かしていく。

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