眠れなくなるほど面白い 図解 日本史

歴史は「流れ」がわかると面白いほどよくわかる! 日本列島の誕生から文明の発達、集落から国づくりへ、貴族社会から武家の台頭と下剋上、鎌倉幕府と室町幕府、織豊時代と江戸幕府、幕末の動乱から明治維新を経て近代国家への道、帝国主義と世界大戦の時代、新しい世界秩序へーー日本の通史を「まるごと図解」解説! 異説や日本史の謎に迫るコラムも充実。

律令制度はなぜ形骸化したのか。藤原氏が権力を握った意外な仕組み

藤原一族が天皇の外戚となり、摂関政治を始めるまで勢力を拡大した理由 律令制度は唐の律令と同じではありません。難しすぎて現実には適用されず、現場の判断と裁量に任されました。 すると受領(ずりょう)として地方に下った下級貴族 […]

曼荼羅が布教の武器に?最澄と空海が持ち帰った密教芸術の成果

天台/真言両宗を宣伝する有力な手段となった最澄と空海が熱心に集めたモノとは 延暦(えんりゃく)二十三年(八〇四)、桓武(かんむ)天皇は遣唐使一行に最澄と空海を加えました。唐風化を急ぐ天皇と貴族たちにとって、これが予想以上 […]

武力だけではない?坂上田村麻呂が仏教と農業で東北を治めた理由

平安京へ遷都し、坂上田村麻呂と共に桓武天皇がなし得た功績とは 桓武天皇は遅咲きの花でした。長い間、父光仁天皇の皇太子として施政に深く関与し、天応元年(七八一)四月、齢四十五歳にして第五十代天皇として即位しました。 施政方 […]

誰も聞き入れなかった?聖武天皇が都を転々としながら発した大仏造立の詔

聖武天皇が大仏建立を懇願した切実な理由 聖武(しょうむ)天皇代、天平十五年(七四三)のこと。天皇悲願の詔(みことのり)を発します。前代未聞の大プロジェクトである大仏造立を国家事業として取り組むことを呼び掛ける宣言です。 […]

藤原京を離れた本当の理由?遣唐使・粟田真人の報告がもたらした平城遷都と和唐折衷の都

元明天皇が藤原京を離れ、平城遷都をした本当の理由 和銅元年(七○八) 正月のこと。 武蔵国から献上された和銅を記念して年号を改めた元明天皇は、住み慣れた藤原京を離れ、大和盆地北端に移転する決定を下します。いわゆる平城遷都 […]

唐の体制を模しつつ中身は独自?天武天皇が手掛けた「日本」の国体と律令国家の礎

天武天皇が伊勢神宮を東国経営の拠点とし『古事記』『日本書紀』を纏めた理由 天武天皇は巨星天智天皇が病に倒れた時、自ら野に下り、挙兵して勝利した実力者であり、思う存分に辣腕(らつわん)を振るいました。 その際、国威発揚のた […]

「出家します」から大逆転?吉野へ逃げた大海人皇子が仕掛けた“壬申の乱”の罠

壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇となり始めた天皇親政時代とは 大化改新以来、三十年近く帝位に在った天智天皇(中大兄皇子)が病に倒れた時、大海人皇子(おおあまのおうじ)は「皇位は倭姫(やまとひめ)皇后に譲り、政治は大 […]

大化の改新はどこまで本当?蘇我氏滅亡の真相と天武天皇の改革の影

天皇の目前で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害!大化改新の真偽とは 第三十五代皇極天皇四年、天皇家と度々衝突を繰り返す蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか) 父子に対し、天皇中心の律令国家建設を目指す中大兄皇子(なか […]

古代の女帝の謎|なぜ推古・持統天皇など飛鳥・奈良時代に女性天皇が集中したのか

在位三十六年の推古天皇から五人七代の女帝が出現した理由 欽明天皇の死後、敏達(びだつ)、用明(ようめい)、崇峻(すしゅん)各天皇が皇位を継承しますが、崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されると順当な皇位継承者があったにも関わらず、 […]

【仏教伝来】蘇我氏VS物部氏の対立の本質とは?聖徳太子の国造りへ繋がる背景

仏教伝来と聖徳太子が天皇中心の国造りに起ち上がった理由 継体(けいたい)天皇の嫡男、第二十九代欽明(きんめい)天皇代のこと。百済(くだら)聖明王が釈迦仏一体、経論若干巻を献上し、仏像礼拝の功徳を称えました。 すると天皇は […]

巨大古墳の謎|応神・仁徳天皇が築いた河内政権と大和朝廷を支えた渡来人

新技術導入の担い手となる応神天皇を支えた渡来人とは 第十五代応神(おうじん) 天皇代、四世紀〜五世紀の間のこと。大和朝廷は大和から河内に勢力範囲を拡大。本格的な中央政権として地方政権を圧倒するようになります。その力を象徴 […]

【ヤマトタケルの正体】悲劇の英雄は1人ではなかった?「集合名詞」とされる理由

ヤマトタケルは一人ではない!?大和朝廷創業期に生田存在した若きプリンスたちとは 第十二代景行天皇代の事。天皇が九州南部の豪族熊襲(くまそ)を征伐し、大和に戻ると熊襲が再び背いたので日本武尊(やまとたける)を派遣。熊襲の長 […]
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