一世一代の快投劇
2014年に13勝5敗、勝率7割2分2厘という成績で最多勝と最高勝率に輝いたことがあるとはいえ、プロ20年間の通算成績は62勝70敗20セーブ。エースと呼べるほどのものではない。
にもかかわらず、中日の山井大介が全国区の知名度を誇ったのは、記憶に残る大仕事をやってのけたからである。
引退会見で、こう述べた。
「最多勝は取らせていただきましたけど、長い間やらせてもらったわりにはたいした数字は残していないと思っています。ファンのみなさんも『たまにやるぞこいつは』と思ってくれていると思う。そういう印象が山井大介にあれば良いと思っています」(中日スポーツ10月7日配信)
2013年6月28日には横浜DeNA相手に敵地で史上77人目、通算88度目のノーヒッターを達成した。4四球を与えながら、大量リードに守られての快挙だった。
しかし、プロ野球ファンにそれ以上のインパクトを与えたのが、日本シリーズでの“完全試合未遂事件”である。
2007年11月1日、ナゴヤドーム。3勝1敗と中日が王手をかけて迎えた第5戦、中日の先発・山井は一世一代の快投を演じていた。
2年連続日本一を狙う北海道日本ハム相手に、8回までひとりの走者も許していなかったのだ。
だが、スコアは8回裏が終了した時点で中日の1対0。試合は、どう転ぶかわからない。ここで監督の落合博満が投手交代を告げる。
「岩瀬!」
クローザーの岩瀬仁紀に最後を託すというのだ。球場には歓声とため息が交錯した。
岩瀬はわずか13球で試合を締めくくり、チームに53年ぶりの日本一をもたらした。
この交代を巡っては賛否が相半ばした。「日本シリーズ史上初の完全試合を観たかった」という声もあれば、「勝つための最善の選択」という声もあった。
その後、試合中盤に山井が血マメをつくっていたことが判明し、これが“交代の真相”という結論に落ち着くのだが、私見を述べれば指揮官は、山井が血マメをつくっていようがいまいが、最後は代えていたと思う。それくらい岩瀬に対する信頼が厚かったのだ。
加えていえば、落合中日は04年、06年とリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズで敗れている。落合には「勝てる時に勝ち切らないと、何が起こるかわからない」という恐怖にも似た危機感があったに違いない。その意味で、私はあの“非情采配”を肯定的にとらえている。落合は鬼に徹したのだ。
(初出=週刊漫画ゴラク2021年10月22日発売号)