頭の中では結構シビア
まるでエリマキトカゲを思わせるような大きな白い襟を立て、深紅のド派手なスーツに身を包んで表れた北海道日本ハム新庄剛志の監督就任記者会見は、“つかみ”からして型破りだった。
「選手兼監督という形で契約を結んでもらいました」
すかさず川村浩二球団社長が訂正を入れる。
「いえいえ、監督だけです」
コロナ下でなければ、会見場は爆笑の渦に包まれていたに違いない。
新庄が“らしさ”を発揮したのは、川村代表が「まずは勝利をファンに届けていただきたい」と注文をつけた後のコメントだ。
「優勝なんか一切目指しません、僕は!」
その説明が振るっていた。
「高い目標を持ち過ぎると、選手ってうまくいかないもの。一日一日、地味な練習を積み重ね、シーズンを迎えて、それで何気ない試合、何気ない一日を過ごして勝ちました。勝った、勝った、勝った、勝った……。それで9月あたりに優勝争いをしてたら“さぁ、優勝を目指そう!”って、そこからの気合いの入り方は違ってくる。(だから)優勝なんか目指しません!」
これは本人の経験からくるものなのだろう。
「彼は頭の中では結構、シビアな野球を考えていますよ」
こう語るのは、元日本ハム球団執行役員チーム統括本部長の三澤今朝治だ。
「感心したのは入団1年目のシーズン。無死一、二塁で苦手な投手の時などは、ベンチの指示ではなく自らの意思で送りバントをしていました。勝利のために、何をすべきか。どうすれば悪い流れを変えられるのか。それを常に考えていた選手でしたね」
03年夏にチームの東京から札幌への本拠地移転が決まり、三澤は“目玉選手”の獲得を目指した。そこで白羽の矢を立てたのが、当時メッツに所属していた新庄だった。
「しかし、他の役員からはメジャーでの成績不振もあり、反対の声が上がった。“いや打率2割8分、ホームラン20本、打点70はいけます”と言って説得したんですが、それ以上の成績(04年=2割9分8厘、24本、79打点)を残してくれました」
さらには、こんな後日談も。
「実は新庄のメッツ時代の監督だったボビー・バレンタインが04年に千葉ロッテの監督に就任した。もしバレンタインの就任決定がもう少し早かったら、ロッテに持っていかれたかもしれません」
今にして思えば、新庄の北海道行きは“天の配剤”だったと言えるかもしれない。
(初出=週刊漫画ゴラク2021年11月19日発売号)