71年7月17日、西宮球場での第1戦
オールスターゲームのファン投票の結果、パ・リーグ先発部門で佐々木朗希(千葉ロッテ)が1位に輝き、初選出された。
<朗希 最速伝説>(日刊スポーツ)
<朗希フルスロットル>(スポニチ)
<朗希 令和の球宴伝説>(サンスポ)
7月7日付けのスポーツ紙には、以上のような見出しが躍っていた。
オールスターゲームの「伝説」といえば、江夏豊(阪神)の9連続奪三振にとどめを刺す。
1971年7月17日、西宮球場での第1戦。全セのマウンドには江夏が上がった。
入団2年目の68年には25勝をあげ最多勝、4年目の70年にも21勝をあげている江夏も、この年の前半は調子が悪かった。
6勝9敗、防御率3・12。江夏によると、旧知の記者から「よう、そんな成績で出てきたな。ちょっとお客さんが喜ぶようなことをやってみな」とけしかけられ、「その気になった」という。
しかし、9連続奪三振は「その気になった」からと言って達成できるようなヤワな記録ではない。
150キロ台の豪速球と針の穴をも通すようなコントロール。そして打者の心理状態を瞬時に読み解く卓抜の“野球IQ”の持ち主だったからこその大記録達成だった。
その一方でパ・リーグの猛者たちのフルスイングも忘れられない。
9連続奪三振のうちの、実に7つが空振りなのだ。4番の江藤慎一に至っては2-2からのボール気味のストレートを強振している。
時代劇において、斬り役が光るためには、斬られ役の技量が求められる。その意味で江夏が主演男優賞なら、フルスイングで迎え討ったパ・リーグの猛者たちは助演男優賞に値する。まさに“ひと夏の夢”だった。
ところで、この試合、“パ・リーグの顔”とも呼べる野村克也(南海)は途中出場だった。スタメンマスクを被ったのは岡村浩二(阪急)。
もしノムさんがスタメンで出ていたら、9連続奪三振のドラマが生まれていたかどうか疑わしい。
実は江夏の球宴での連続奪三振は前年の第2戦から続いていた。71年第1戦の9個を加え、14個。江夏は第3戦にも登板し、連続奪三振を15に伸ばしていた。
それを阻止したのがノムさんだった。第3戦の6回、バットを短く持ち、コツンと当てて二塁ゴロ。「セコイ、おっさんやな」。江夏はマウンドで苦笑するしかなかった。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2022年7月22日発売号