「天才と天才肌は違う」
続投が決まったサッカー日本代表監督の森保一は慎重な物言いで知られる。
かつて第74代総理大臣の竹下登は、誠実な受け答えながら、明言を避けることから「言語明瞭、意味不明」と揶揄された。
しかし、それは言葉尻を捕らえられたくない、という竹下の老獪さの為せるわざでもあった。
森保の言語感覚も竹下に近い。自らの発言が、どう影響を及ぼすかを絶えず意識している。日本のメディアに発した言葉でも、このSNS全盛時代、一瞬にして海外に伝わってしまう。すなわち、「ここだけの話」は、もう通用しないのだ。
また森保は、選手個々についての評価も、積極的には口にしない。ポジティブな論評はまだしも、ネガティブな感想は、ほぼ皆無だ。
あの選手は、ここに問題がある。ここが弱い、と明かすのは、自ら日本代表の弱点はここですよ、と披露しているようなものだ。感情の赴くままにペラペラしゃべって得することは何もない。
歴代の日本代表監督で「個人についての評価はしない」と明言した最初の監督はオランダ人のハンス・オフトだ。彼は情報が漏れることのリスクを知っていた。
そのオフトの一番弟子が森保である。オフト流を踏襲するのは、はなから自明だった。
そんな慎重居士の森保でも、時折、ポロッと本音を漏らすことがある。
ある時、私が「A選手は天才だな」と口にすると、「いや天才と天才肌は違うんです」と、ピシャリと言い切った。
過日、本人に改めてその点を質した。
「攻撃的な選手を対象にした言葉だと思いますが、天才はどのような状況に置かれてもボールを失わない。そして効果的なプレーをする確率が高いんです。一方で天才肌の選手は、技術的にはうまいのですが、時間もないスペースもない、すなわちインテンシティ(強度)の高い状態で戦っている時に、本来の技術力を発揮できない。それこそが両者の違いだと思います」
イングランド・プレミアリーグのブライトンでプレーする三笘薫が1月29日(現地時間)、リバプールとのFA杯4回戦で、とんでもない決勝ゴールを決めた。
1対1の後半アディショナルタイム。左からのマイナスのクロスを右足アウトでトラップし、キックフェイントでDFをかわすと、そのまま右足アウトでゴールネットに突き刺した。
そのシーンを見て確信した。三笘こそは「天才」だと。三笘そのものが戦術と化す日は、そう遠くあるまい。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2023年2月17日発売号