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森保一、若き日のファイター伝説【二宮清純 スポーツの嵐】

Text:二宮清純

「人間性の部分が突出」

 日本代表2期目に突入した森保ジャパン。監督の森保一は温厚な人柄で知られる。彼とは取材を通じて30年を超える付き合いだが、本人から人の悪口を聞いたことがない。

 カタールW杯でキャプテンを務めた吉田麻也は、森保について、「人間性の部分が突出している」と語り、続けた。

「普通、選手にとっては、自分を使ってくれる監督が一番いいんですよ。どんなにいい監督でも、自分を使ってくれなかったら嫌いになる。でも、森保さんは、その領域を超えた人の良さがあって、ベンチの選手も納得していないけど、不平が出てこない。珍しいチームだと思いました」

 それも、ひとえに人徳のなせる業だろう。人間、誰しもこうありたいものだ。

 若い選手の中には、森保の現役時代を知らない者もいる。「彼はファイターだった」と話すと驚かれることがある。イメージとの間にギャップがあるようだ。

 古い話で恐縮だが、彼が代表入りした直後のエピソードを紹介しよう。語るのは、当時、チームの司令塔だったラモス瑠偉。

「あれは1992年7月のこと。オフトジャパンはオランダ遠征した。そこでボクはアイツのこと認めたよ。根性あるなって」

 92年5月に外国人初の代表監督に就任したハンス・オフトは、チームの底上げをはかるため母国のオランダに遠征し、強化合宿を張った。

 無名ながら森保はオフトの秘蔵っ子として寵愛を一身に受けていた。

 アマチュアチームとの試合で、森保は悪質なファウルを受け、ふくらはぎに裂傷を負う。再びラモス。
「森保はボールへのアプローチが速い。球際では負けないぞ、と気持ちを込めてボールに足を入れたら、上から踏み潰されたの。スパイクでガッと。血がバァーッと吹き出てきて、皆で抱えながらホテルまで連れて帰ったよ。

 一番怒ったのはドクターの武井経憲さん。あの人、英語が話せるから“オマエ、謝れ!”って相手のシャツを掴んで抗議した。その後、ホテルで武井さんが消毒して20針ほど縫った。あれ、ばい菌でも入っていたら大変なことになっていたよ。

 で、森保に“ゆっくり休め”と声をかけると、3日後の試合に“出ます!”って。“オマエ、バカか!”って怒ってやったよ。“でもオマエ、本当に根性あるな”。そういう男よ、森保って……」

 森保一、若き日のファイター伝説。温厚な人柄に騙されてはいけない。

初出=週刊漫画ゴラク2023年4月28日発売号