最高位は日本フェザー級6位
ボクサーくずれ――。
捜査資料に出てくる言葉使いからして差別的であり、偏見に満ちている。
冤罪の萌芽が、ここに見て取れる。
1966年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きたみそ会社の専務一家4人が殺害された事件、死刑が確定していた元プロボクサー袴田巌さんのやり直し裁判で、静岡地裁は9月26日、無罪を言い渡した。
一審で有罪の決め手とされた血痕がついた5点の衣類について、裁判長は「1年以上みそに漬けられた場合に血痕に赤みが残るとは認められず、『5点の衣類』は事件から相当の期間がたった後、捜査機関によって血痕を付けるなど加工され、タンクの中に隠されたものだ」と指摘した。
要するに証拠は「捜査機関のねつ造」だというわけである。自白調書においても、非人道的な取り調べの帰結で「実質的なねつ造」と断じた。
袴田さんは47年7カ月間の獄中生活を経て、今から10年前の14年3月、静岡地裁の決定で再審と釈放が認められた。
<拘置をこれ以上継続することは、耐えがたいほど正義に反する>(静岡地裁)
30歳で逮捕された袴田さんは、78歳で釈放され、現在88歳。今は浜松市内の自宅で、姉の秀子さんと2人で暮らしている。
地裁には拘禁症状の出ている袴田さんにかわって秀子さんが出廷した。彼女の支えなくして、再審無罪判決を勝ち取るのは難しかっただろう。
ちなみに一審判決から釈放までの「45年」はギネスの認定記録である。国家による人権侵害の最たるものだ。
ところで袴田さんは、どんなボクサーだったのか。
中学卒業後にボクシングをはじめ、アマチュアでの戦績は15戦8勝7敗。57年の静岡国体にも出場している。
その後プロに転じ、最高位は日本フェザー級6位。60年に記録した年間19戦は、今も国内レコードだ。戦績は29戦16勝(1KO)10敗3分け。「日本ボクサー辞典」(ベースボール・マガジン社)を引くと、袴田さんの対戦記録の一部が残っていた。61年3月29日には、ノンタイトルながら日本バンタム級王者の山口鉄弥と闘っていた。
結果は10ラウンド判定負け。ハードパンチャーの山口相手に、フルラウンド闘い抜いたのだから、相当タフな選手だったに違いない。同辞典には「タフなブルファイター」と紹介されている。
袴田さんは58年という気の遠くなるような時間をかけて再審無罪を勝ち取ったが、失われた時間は、もう2度と戻ってこない。
初出=週刊漫画ゴラク2024年10月18日発売号