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11、ヤマトタケルの悲哀【日本史】

Text:鈴木 旭

第十二代景行天皇代の事。天皇が九州南部の豪族熊襲(くまそ)を征伐し、大和に戻ると熊襲が再び背いたので日本武尊(やまとたける)を派遣。熊襲の長である川上梟帥(かわかみのたける)を討ちました。そして帰国途中、日本武尊は出雲建(いずものたける)も倒しました。

 

意気揚々と帰国すると、天皇は直ちに東国遠征を命令しました。日本武尊は「天皇は私に早く死ねと思っているのか」と嘆きましたが、命令に従います。そして、幾度も苦難に遭いながら東国平定に成功します。

 

しかし帰国途中、病気になり、故国に辿り着けない身の上を嘆きながら亡くなります。前半の英雄物語とは反する悲劇的な結末ですが、大和朝廷創業期にはそれだけ多数の若きプリンスたちの物語があったということでしょう。一人ではなかったのです。

 

したがって、ヤマトタケルという名前は、たくさんのタケルたちの集合名詞だったと推測されています。

 

出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭

【書誌情報】
『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』
著:鈴木 旭

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